回収されたゴミはどうなるのか?「分別」「リサイクル」が与える影響
分別やリサイクルが、「資源を節約し、ゴミを減らす」と思うのは自分の身の回りだけしか見えない人で、社会全体では「資源を余計に使い、廃棄物を増やす」ということになります。それがわかる一番、手っ取り早い方法は「エントロピー計算」をすることですが、これが普通の人にはできないというか、大学の先生でもほとんどできません。エントロピー計算自体はすでに学問的にしっかりしたものになってから100年以上も経つのですが、少し難しいのです。
常識的に考えてこのことがわかるようになるためには、分別したものを「運ぶ手間」、分別して集めたものから「新しい商品を作る手間やエネルギー」をじっくり考えればわかるかもしれません。よく「分ければ分けるほど良い」と考えている人もいるのですが、一緒に運んでいくのと、トラックを何台も用意するのと比較すると、だれもが1台で運んだ方が安い(資源やエネルギーを使わない)ことはわかるでしょう。
また、使い終わったものは普通は汚く、何か混じっていることがほとんどです。たとえばペットボトルのようにきれいで簡単なものでも、人が飲んだ後のものですから最低でもよく洗浄して殺菌しなければなりません。それにサイズや色も多いので、かなり細かく分ける必要があります。さらに悪げが無くてもペットボトルの中にチューインガムが入っていたり、農薬入れに使ったりする場合もあります。
洗えば取れるものもあれば、洗っても次の人が飲むには問題という場合もあります。天然資源から何かを作る場合には、原料を分析してそれにあった製法を採用することができるのですが、市中から回収するものは千差万別で、どんな毒物が含まれているかわからないので、衛生的ではないのです。事実、ビール瓶のリサイクルではカナダで心臓麻痺が急増したり、イギリスで鼻に穴が開く病気が流行したことがあります(原因はわかっている)。
もちろん、国の委員会に出る先生方はそういうことはわかっているのですが、リサイクルすると言って市民に分別させ、別々のトラックで運んで焼却炉でまた全部混ぜて一緒に焼いても税金を使うだけで、分別しないと同じですから、困らないのです。また、市民も「分別したものがリサイクルされている」と自己満足で気楽になるので、これも良いかもしれません。事実はそうなっています。
私はなぜか「言ったこととやっていることは同じ」でないと気がすまず、「建前でごまかして日本のためにならないことはしたくない」という性質ですが、その方が変人奇人なのではないかと思うこともあります。
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