絶望的な誤認。いじめの定義を勝手に変えた第三者委員会の卑劣

 

被害者らの憤慨

私はいじめ自殺未遂事件の被害者と連絡を取り合っている。その中で、いじめ自殺の方の聞き取りにも協力しようという話が出ていた。

いわば、被害者らが積極的に調査に協力しようという意思を示したのだが、この第三者委員会の対応はあまりに横柄で突き放したものであった。

すでに決められた結果へ向けての証拠や情報ばかり集めているのではないかという印象が強かったのだ。

そもそも大島商船高専のいじめ自殺の第三者委員会は、学校が事務局を行っているのだ。聞き取りの手配や学生へのアンケートなどは、事務局自体を第三者委員会が兼ねるという委員会よりも連携が取れるはずなのだ。ところが、2年以上も調査が進まないというのは、あまりにお粗末としかいいようがない。

しかも、重要証言がある同部屋の被害者や自死のきっかけともいえる出来事の当事者なども積極的に聞き取りに応じようとしたのに、それが進まぬというのは大いに疑問だ。

ただもう1つの第三者委員会が指摘したように、学校はいじめの認識があまりに杜撰であり、本来いじめであるものを認識できる能力はなかったとされている。

一方でいじめがあったと書かれたアンケートが隠ぺいをするものの都合が良いところで紛失するなどの問題が発生しているのだ。

意図的に遅らせたのではないかという疑念すらも生じてしまうだろう。

再調査となる第三者委員会が増えている現状

本件のみならず(いや、本件はまだ再調査委員会とはなっていないが)当初の第三者委員会と呼ばれる有識者委員会の結果が、遺族や被害者の批判を受け、再調査となるケースはずいぶん増えているという印象だ。そして、この再調査では、いじめが認められるケースが圧倒的に多い。

多くは教育委員会や学校が設置者となり、第三者委員会を設置するのだが、県内などで近場の有識者となろうその分野の専門家が集められるケースが多く、こと「いじめ」については専門家というには疑問が残る委員がいることも多い。

実際、ある第三者委員会の委員長に、記者が、「いじめの定義通りにいじめの認定をすると、その件ではいくつものいじめが認められることになるが?」と質問をすると、その委員長が「それではキリがないので、いじめかどうかは私が判断する」と答えたのを私は聞いたことがある。

この委員長は確かその地域ではもっともいじめ問題に詳しいとされた弁護士であった。

その後、私はその考えは根本的に誤りだと指摘すると、勝手に記者会見に入るなと抗議された。しかし、文科省などの意見(文科省の役人は指導したというが、事実上はとてもやさしいアドバイス)を入れてもらうと、「もちろん、いじめの定義でいじめかどうかは解釈します。言葉が足りませんでした」と釈明したのだ。

バカも休み休み言ってくれ。

それが正直な感想だ。このレベルの似非専門家がいじめの専門家と言って、仰々しいバッチを振りかざし偉そうに遺族会などに出入りしてふんぞり返っているのが、今の現状なのかもしれない。

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