絶望的な誤認。いじめの定義を勝手に変えた第三者委員会の卑劣

 

多くの被害者がいうこと

私は多くの被害者やご遺族と会い、その調査を担当した。中には第三者委員会の結果をひっくり返し、再調査に持ち込んだものもある。

一方で、調査に当たりつつ事実をつかむ傍ら、方針が合わずに辞任したものもある。

そうした中で多くの被害者が言うことは、学校や教育委員会が第三者委員会を設置することの理不尽さだ。特に、常任で雇われている教育委員会など直下の調査委員会があたかも第三者のような面で、いじめの定義を無視して出す結果はほぼすべての被害者が納得していない。被害者側が、世間的に異議を唱えていないように見えるのは、委員も行政も無能だと感じ、これと対する時間があまりに無駄だと感じて、三下り半を下しただけなのだ。

以前取り上げた山梨県北杜市のいじめ事件では、市教育委員会が、当初第三者委員会のメンバーを隠したまま委員会を設置しようとした(現在はその事実も明るみとなり、適正に第三者委員会による調査が進められている)。

児童生徒の生死に直結する「重大事態いじめ」は、重大事態となるまでに、学校対応の誤りや放置、いじめの事実に関する誤認や誤認したことを隠そうとする隠ぺいなど、様々な失策がある。

つまり、学校や教委、私学であれば教職員や学校法人などの失敗が積み重なって、重大事態いじめとなったものが多いのだ。

そうした観点で言えば、第三者委員会設置の権限を持つ組織は、二次被害を起こした加害者という立場であると被害者の多くは感じているのである。

そのいわゆる加害者組織が、中立公平な第三者委員会を組織するなんてナンセンスだと考えるのは自然なのではないだろうか。

そして、被害者側が理不尽だと感じていることが、第三者委員会の調査の不備や怠慢、基本中の基本であるいじめについての正しい知識の不足などが次々と起き、再調査による前委員会の結果の否定といじめの認定が実際に起きているわけだ。

山口県大島商船高専のいじめ自殺事件の第三者委員会が遺族から三下り半を下されても、まるでその意見を無視して、調査を一部取りやめてでも早く結果を出しますというお粗末な状況も、これまで積み上げられてきた第三者委員会の失敗とよく符合している。

遺族や被害者に寄り添った法改正しかない

私は毎度のように法改正しろと書いているが、それはもうこれ以上、隠ぺいするもの、加害行為を常習的に行うものに抜け道を作るなということなのだ。

そして、確かに今新型コロナ対策で大変な時期であることはわかるが、それによるいじめも増えている現状もある。もはや待ったなしなのだ。

いじめ防止対策推進法の立法の趣旨や詳細な説明、国会や委員会などでの記録を読み漁っていると、国は「ご遺族や被害者などに寄り添え」と何度も言っていることがわかる。そして、それをすることで、最悪の事態を防ぐのだとしている。

であれば、法改正は絶対に「被害者や遺族に寄り添ったもの」でなければならない。そうでなければ、この国の立法は、どこまでも隠ぺいや無記録、秘密会議による独裁を許す嘘つきだということになろう。

絶望の中でも、多くの被害者やご遺族は、一縷の望みとして、その苦しみが次の世代にはなくなるように願い生きているのだから。

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