なぜ「情けをかけた相手」ほど図々しくなってしまうのか?

 

「命ばかりは…」と望みながら、からくも一命を取り留めることができたその後は、やれ何がつらいの、かにがしんどいの、と散々に文句を言い出し始める。誰にでもあることだ。藁にすがったその結果、一番大切なものを守ることができたという幸運はなかったかのような振る舞いである。

もちろん生活の質の向上は重要である。が、すがった藁に言うべきことではなかろう。藁もいつまでも全体重を掛けられたんでは堪らない。これらのことは全て安全な陸に上がってから後に言うべきことである。それにしても危機的状況においては迷いなく一番大切なものをほぼ自動的に選ぶことができる人間が、多少なりとも落ち着いた後だとこれほどまでに図々しくなってしまうという現実はちょっと面白い。

一番大切なものを選ぶということは、二番目以降を全て切り捨てるということである。やはり容易なことではない。調子づいた顔にぴしゃっと冷や水を浴びせられて初めて溺れかけた時のことを思い出す。こんなことだからいつまでも我々は性懲りもなく軽薄な(少なくとも軽薄に見える)振る舞いを繰り返してしまうのであろう。誰かに、何かに、多くを、高くを望むその前に、まずあの日あの時の「藁」のことを思い出すようにしたいものである。

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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