なぜ「情けをかけた相手」ほど図々しくなってしまうのか?

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「溺れる者は藁をもつかむ」あるいは「溺れる者は藁にもすがる」。多くの日本人がよく知るわかりやすいことわざです。つかんだものが「藁」だとしても助かる場合があるのが人の世で、すがられた側は「藁」であることを伝え、承諾を得たうえでなんとか助けることもあります。ところがいざ助けてみると、その承諾がなかったかのように「もっと、もっと」とすがられることがあるのも人の世。メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんは、最近の日本の状況にそうした図々しさや軽薄さを感じているようです。

藁(わら)のこと

随分昔の話である。厄介な仕事を引き受けた。面倒で手間がかかる割には儲からない。加えて責任も重い。普通なら断る案件である。ところが「もう他に頼れる人がいない」「藁にもすがる思いである」「結果の如何は問わないから」などと詰め寄られるとなかなかにこちらも弱い。そこで「そちらの思う通りの結果が出せるかどうかが保証できない以上報酬は格安で結構、その代わり仕事のやり方には口を出さないで一切こちらに任せて欲しい」と条件を出す。

これを聞くや「本当にありがとうございます。それで大丈夫です。救われました。お任せします」と先方は大いに喜ぶ。いよいよプロジェクト始動である。

ところが中盤あたりで約束違いの横やりが入った。言い始めは「今どういう状況か報告して欲しい」とか「取り敢えずここまでの結果を見せてもらいたい」などであった。それが仕舞いには「金を払っている以上、こちらの要望には逐一応えてもらいたい」にまでなった。

「それはないだろう」誰でもそう思う筈だ。こちらとしては仕事を引き受ける条件を前もって明示している。即ち「口を出すな」「一任しろ」「格安で結構」である。もし今、前二つの条件を一方的に翻すと言うなら当然三つ目の条件も反古となる道理である。にもかかわらずのこの態度である。どうやら三つ目は棚上げ、一つ目二つ目は向こうの望むがままに合わせろと言うことらしい。

こういったことも適当にあしらえるのが良き社会人というものなのだろうが、頑固な性格の持ち主としてはなかなかそうはいかない。「口は出す、一任もしないなら、報酬は至当額まで上げてもらえるということですね」これを聞くと、先方は忽ち言葉少なく明らかに不機嫌になった。

「今のままで結構です。今後もよろしくお願いいたします」

以後は相手の担当者も代わり、無事プロジェクトは成功裏に終わった。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とよく言うが、これは当該の者が如何に軽薄かということを冷笑する諺ではない。軽薄ではない人でも容易にこういった状況に陥るということを戒めるものである。先に話した仕事の件もそうである。「藁にもすがる」と言いながら、自分がすがったものが藁であることをすっかり忘れ、大船とはいかないまでも救命艇くらいにはすがったつもりで安心してしまう。恐ろしいことに、こういった軽薄な変化は状況次第で誰にでもいつでもいくらでも起こり得るのである。

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