現役教師が提唱。子供に勉強をさせるのに「やる気はいらない」説

 

ただ、やるためには、サイクルが決まっている方がいい。例えば学校では、勉強の1週間のサイクルが作られている。その曜日のその時間が来たら、その教科の学習が始まる。

いちいちそこに選択肢がないからこそ、集中できる。「今日はこの教科をやろうかな、やめとこうかな」などと考える余地があったら、多くの子どもは間違いなくやりきれない。

学習塾に行くと勉強ができるというのは、ここである。放課後、自分だけだとだらだらしてしまうはずの時間が、予めスケジュールされている。有無を言わさず、18時から19時は特定の教科の勉強をすることになる。

やらない時より量をこなすのだから、当然以前よりできるようになる。これは、やる気の有無とは全く次元の違う話である。

社会人になってから自分での勉強が難しいというのは、このスケジュールをしてくれる人がいないという点がとても大きい。同じ勉強とはいえ、学生とは全く別のステージである。

逆に、課題とスケジュールを自分で組める子どもなら、通常は学習塾に行く必要はない。必要な時間、勉強をやって量をこなすからである。

教えてもらおうが自分で学ぼうが何しようが、結局は自分の勉強時間の総量である(特別な難関校を受験しようという場合は、また話が別である。そこの合格のための特別な問題や勉強量・緊張感が必要になる)。

いずれにしろ、やる気の有無という話ではなく、決めたこと(あるいは決められたこと)を実行するか否かというだけの話である。両者とも別にやる気があった訳ではなく、いい意味で「やることをやっているだけ」である。

まとめると、始める前にやる気は全くいらない。予めやると決めた、決まったことを、スケジュールとして設定する。できれば、申し込みをするなどして他を巻き込んで、自分もやらざるを得ない状況を作る。それをやる。それだけである。

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