森喜朗氏では土台ムリ。日本の「ホンネとタテマエ」話法が東京五輪を潰す

reizei20210216
 

女性蔑視発言とその後の対応が国内外から猛批判を受け、東京五輪組織委の会長職を辞任した森喜朗氏。後任人事選定についても不透明感が強く、もはや組織の体質そのものを疑う声も上がるほどとなっています。なぜこのような事態となってしまったのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、「諸悪の根源はホンネとタテマエの使い分けにある」としてそう判断せざるを得ない理由を解説するとともに、新会長に求められる資質を記しています。

五輪組織委問題、諸悪の根源はホンネとタテマエの使い分け

森喜朗氏の発言が批判されています。ジェンダーという属性をことさらに取り上げてステレオタイプ化する姿勢は、差別以外の何ものでもないと思います。その一方で、この発言の最大の問題は「ホンネとタテマエの使い分け話法」が、この政治家の場合、骨の髄まで染みついているということです。

森氏は問題の発言の中で、女性の社会進出を快く思わないというホンネと、女性に機会を与えなくてはならないというタテマエの「使い分け」をしようとしています。

ただ、問題となっているコメントは、典型的なホンネとタテマエの使い分けではなく、言葉の上では自分はタテマエに属しているような口ぶりで通しています。そうでありながら、時に女性蔑視的な見解を第三者が言ったとして紹介してみたり、文科省の方針を行き過ぎたタテマエのように紹介して、自分をホンネの位置に投影して聴衆との共犯関係を作ろうとしたり、全体の構成が姑息です。

ご本人は、自分はあくまでタテマエの領域から外れていないつもりのようですが、結果的に、ご本人は否定しても、自身の意識の奥にはハッキリと差別意識があることがミエミエになっています。

問題は、森氏のような政治家の権力の源泉にはこの「ホンネとタテマエの使い分け」話法があるということです。例えばある政策なり人事の背景には、ホンネとしては色々な要素があるはずです。ですが、ホンネをむき出しにしては、批判を浴びて政治が立ち往生するということで、必ず一般の有権者向けにはタテマエの説明が用意されることになります。

特に森氏に代表される昭和の政治家の場合は、公(オオヤケ)の「場」では硬直したタテマエしか言わない一方で、私(ワタクシ)の「場」ではホンネを喋って政治を進めてきたわけです。

勿論、世界中のあらゆる組織においては、ホンネとタテマエの乖離ということはあると思います。ある意味で政治というのはタテマエに包んでホンネを実現する技術なのかもしれません。

ですが、結果的にはそうした「使い分け」というのは破綻します。ですから、結局は早め早めに正直ベースでの情報公開を行う組織が勝つようにできているのです。陰謀論をグタグタ言う勢力に限って、そのような正直ベースのスピーディな情報公開戦争の「負け組」だったりするわけです。

その結果として、仮に大きな意思決定をする場合に、タテマエ的な、つまり理念との整合性も、法規との整合性も取れて、しかも長期的な評価にも耐え得るような判断と、ホンネ的な、つまり理念との整合性も、法規との整合性も弱いし、特定勢力の利害に引きずられているし、何よりも短期的な利害に基づく決定でとても長期的な評価には耐えられないような判断が「複数の選択肢」としてあったとします。

そうした場合に、例えばあまりにタテマエに偏った判断ですと、短期的な利害ということで大損になって組織自体が崩壊する、端的に言えばカネがショートするようなこともあるでしょう。反対に、あまりにホンネベースの判断では、その判断自体が即座に犯罪性を帯びたりすることもあるわけです。

ですから、通常はタテマエ度100%(これを仮にプラス100としましょう)からホンネ度100%(仮にマイナス100とします)までの間で、様々な選択肢を並べて検討するわけです。そこでプラス70とか、マイナス20といった要素を検討して行って、プラス40とか60といった辺りに、実現可能でしかも長期的な評価にも耐え得るような選択ということで判断をするわけです。

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