森喜朗氏では土台ムリ。日本の「ホンネとタテマエ」話法が東京五輪を潰す

 

ところが、日本の、特に森喜朗的なコミュニケーション様式では、そのように複数オプションを透明性を持って並べておいて、そこで判断するということができません。諸要素を考慮して判断するというスキルそのものが、まず欠けているということもあるでしょうし、利害関係が複雑であって、デフォルトの設定が既にマイナスということもあるでしょう。

ですが、彼が政治家として歩いてきた長い時間の中で、そのように複数のオプションを横に並べ、しかも重要なことは公開して透明性を確保しながら判断するということは、できないし、しないという姿勢が骨の髄まで染みついているのだと思います。

そして、そのホンネの部分に恐ろしいまでの男女差別や、権威主義、秘密主義が残っているのです。

では、この場合のホンネの部分をどうオープンにして、透明性を高めるのか、問題はジェンダーの平等性だけではありません。その奥にあるのは、東京五輪をどうするのかという、大きく分けて3つの問題が横たわっていると考えられます。

1つ目は、開催の条件です。これはそんなに簡単ではありません。開催国としてどのような条件なら開催できるのか、ということを決めればいいとは言えないからです。

まず、日本として、どのような条件なら相手国の選手ならびに観光客を受け入れることが可能なのか、という問題があります。直前のPCRで陰性だとか、ワクチン接種証明があるなどという形式要件で入れて、万が一それがインチキな紙切れであって、選手なり観光客が日本でクラスターを発生させては大会は失敗します。五輪としての厳格な基準が必要です。

また相手国として日本がどのような条件に達していたら選手並びに観光客を送ってくるのかという問題があります。日本の感染数がどこまで抑えられているのか、またワクチン接種率はどうかということで、いくら日本が「安全だ」とアピールしても、個々の参加国が「ノー」と言うようではダメだからです。

その他の要素としては、各国予選の問題があります。競技別に状況は異なりますが、予選ができないようなら参加は無理であり、結果的に成立する競技が少ないようでは大会は失敗します。

その上で、経済的な問題があります。多少の制約はともかく、ある点を超えて「制約の多い大会」になってしまい、その結果として「中止した以上に赤字が拡大」するようならやるのか、やらないのか、という問題があります。これには主催国としての直接の開催費用だけでなく、民間の経済効果がどの程度になるかということも関係するでしょう。

とにかくこうした複雑な要素について、森という人はこの切迫した局面において、まともな情報公開をしてきませんでした。次期委員長の人事としては、こうした事情について、各国の意見を聞き、国内の調整を行い、最終的にはアスリートたち、そして国内外の世論を納得させるような情報公開の姿勢と、情報公開のできるだけの権限と説明能力を持った人物でなくてはならないと思います。

2つ目は、開催時と中止時の費用負担についてです。コロナ禍の中では、開催するにしても、中止するにしても当初見込んでいた費用とは全く別のコスト・ストラクチャーになる可能性があります。この点について、厳格な予算管理を行い、状況に応じて臨機応変に資金を用意し、資金が用意できなければ予算をカットする、その上で、開催が不可能ならその判断をするし、その場合に、どうしても国や都として「持ち出し」が出るのであれば、IOCとの間で透明性のある、そして日本の国益を損ねないような厳しいネゴをして経済的ダメージを極小化することが必要です。

そのような問題意識と、実行能力と、そのための権限をしっかり勝ち取り確認しつつ進められる、つまり正しい方向に行こうとして障害に直面したら、隠さずに公開して脅しや権力に屈しないで、日本として余計なカネを負担させられることを回避するような人物が必要です。

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