311で全てが変わった。東日本大震災が社会に解き放った負の感情

 

勿論、これは矛盾です。居住を認めないのであれば、巨大な防潮堤は不要なはずです。津波は、警報直後に来るような、つまり震源が近い場合には巨大なものとはなりません。巨大津波の場合は、事前に警報による避難は可能な条件で発生します。そのことは、今回の被災でも経験的に分かっているわけです。ですから、居住を禁止して、警報システムを完備すれば巨大防潮堤は不要です。高台移転をするのであれば、尚のことです。

ですが、民主党政権は巨大防潮堤に走ったのでした。地元にイエスかノーかを迫って、イエスという答えが得られた、そして建設業者に雇用を回したい、それは分かります。ですが、眺望を奪い、未来永劫観光資産の価値をゼロ化する巨大防潮堤をどうして造ったのか、それは、余りにも巨大な被害の反映として残った、巨大な不安感情の反映だと思います。

何とも皮肉な話ですが、10年を経て、その防潮堤が守るべき人口は消えてしまいました。ですが、当時の人々の被害の記憶という心の傷と、再発への不安感の反映として、その巨大な負の感情がフリーズ(凍結)した「モノ」として、大規模な復興事業のハコモノは作られ、残されたのです。

しかしながら、ここまでの流れを私は簡単には批判できません。そのぐらいに、被災の痛みは巨大であり、再発への不安は大きかったのです。有権者の感情論を政治的な資産にしようとして、下手くそながらも必死になった民主党が問題を大きくしたわけですが、さりとて巨大防潮堤も、かさ上げ事業も、高台の造成も、簡単には笑ったり、批判したりはできません。

何故なら、被災の痛み、そして将来への不安というのは、それだけ巨大であったからです。

問題は、そのような負の感情が連鎖を生んだことでした。

これは具体的な復興の失敗を超えた話です。震災は日本という国の「国のかたち」そのものに深い傷を残したのでした。被災地だけでなく、国の根幹の部分を傷つけ、その傷は今でも国を揺さぶり続けているのです。それは感情論への歯止めが外れたという問題です。

こうなると、被災地には責任はない話です。例えば、復興税なるものを発明したのは、政治家ではなく、大学の先生たちだというのです。これは良く分かりません。発起人の中には尊敬する方も多いのですが、何となく、被災地に発生しているであろう「負の感情」を勝手に思い描いて、それこそ過大に忖度している、そんな傾向があるとしか思えないのです。

どういうことかというと、311を契機として、日本社会では、感情論の歯止めがタガが外れるかのように、フリーになってしまったのです。まず「安全・安心」という言葉があります。安全であれば安心なはずです。常識的にはそうなのですが、311以降はそうではなくなりました。

大津波は避難する時間の余裕を伴うということは、分かってはいるのだが、それでも「安心」のために巨大堤防を造ることはストップできない。高台移転やかさ上げをやっているくせに、完全にそれと重複する巨大堤防も造ってしまう、そうした論理の筋の通らない政策も、全て「安心のため」ということで正当化されてしまったのです。

原発政策が最たるもので、311までは「安全なら安心」だという常識が多少なりともあったのが、完全に壊れてしまいました。人間は「安全だけでは安心できない」動物だということが、完全に証明されてしまったからです。風評被害という言葉も同じです。311までは、科学的な根拠のない風評というのは、風評の方が悪だったのが、人間は感情の動物だということを311で骨の髄までたたき込まれた後は、まるで自然災害のように風評の被害と戦うしかなくなったのでした。

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