311で全てが変わった。東日本大震災が社会に解き放った負の感情

 

感情論が解き放たれたということでは、例えば被災地に千羽鶴を送るのは失礼だという議論があります。今では定着していますが、これも311が契機でした。それまでは、被災地が千羽鶴をもらったら、どんなに心が傷ついていても、折った人の善意は受け止めねばならない、そんな大原則があったのでした。事実、善意は比較的スムーズに流通していたし、例外には人々はそれほど関心を払わなかったのです。

ですが、311を契機に「千羽鶴を貰うのは負担」であり「時に惨めなので止めて欲しい」という「負の感情」が独り歩きするようになりました。私は今でも、この現象のかなりの部分がフェイクだと思っています。東北の人々の持つ、粘り強さ、素朴さからはどう考えても「千羽鶴は惨め」などということは口にしないのが、彼等の矜持だからです。多分、大都市圏のネットに生息する負の感情が、311に触発されて出てきたものだと私は見ています。

しかしながら、それはそれとして、「千羽鶴は失礼」だとか「被災地に古着はもっと失礼」という言葉がどんどん拡散して行きました。恐らく、被災地には全く罪はなく、被災と無関係の部分に生息していた負の感情が震災を契機として、悪しき化学反応を起こしてしまったのだと思います。

ですが、この変化は巨大でした。この311を契機に負の感情、時にはどす黒く、人を傷つけながら増殖する負の感情というものが、社会に解き放たれてしまったのです。今回のコロナや五輪を巡る政治的な騒動において、こうした傾向はコントロール不可能なレベルに及んでいます。

マスク警察が跋扈し、ベッド数を隠蔽してまで危機感を煽る首長が吠え続け、外国人観客への排外主義があり、そして何よりもワクチンへの忌避感情の暴発を、まるで危険物を取り扱うかのように政府は恐れているようです。そうしたことの全ては、311が感情論を解き放って、安全だけでは満足でできない、人間の大脳の神秘である感情論、すなわち「不安と安心」という大脳内の電気反応が、あからさまに独歩しているからだと思います。

そう考えると、311の残した傷は深く、このままでは国にとっての致命傷となりかねないのではないでしょうか。まずは10周年を契機として、当時の動きに関して、冷静な検証が必要と思います。とりわけ、当時の菅直人政権が、人心の中にある不安感や恐怖の心理に対して、政治として何も出来なかったばかりか、そうした感情論に国家主権を丸投げしたことへの検証が必要と思います。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より一部抜粋)

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東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

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