311で全てが変わった。東日本大震災が社会に解き放った負の感情

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今年で発生から10年を迎えた東日本大震災ですが、未曾有の大災害が残した傷は、このままでは日本にとって致命傷となりかねないようです。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、あの震災が日本に解き放ち、今なおどす黒く増殖を続ける「負の感情」について論じるとともに、10年を契機として冷静に検証されるべきことを記しています。

311から10周年、被災地だけでない傷の深さ

丁度10周年を迎えた2011年の東日本大震災に関しては「復興」という言葉が延々と語られています。今回の(どうなるか分からない)東京五輪にしても、建前としては震災復興が目的の一つとなっています。例えば、復興税というものがあり、2013年から何と25年という長期間にわたって、所得税が2.1%上乗せされているわけですが、ということは、2037年までこの「復興」ということは行われるわけです。

どうしてそんなに時間がかかるのでしょうか。例えば、1995年の阪神淡路と比較してみると、2011年の311については、過疎高齢化と経済衰退という猛スピードで降下中のジェットコースターの中で起きた震災という違いがまずあると思います。

この点を全く理解していなかった当時の民主党政権により、メリハリのない復興事業が進められました。巨大な防潮堤が建設され、住宅地は新たに高台に造成されたわけですが、流出した人口は戻りませんでした。今後、更に2037年まで延々と復興税が徴収されるわけですが、一体何をどのように「復興」するのか、全く見当がつきません。

問題は、この「復興」というのが幻想、つまり現実とは乖離したファンタジーだということです。過疎化も高齢化も、そしてもっとストレートな言い方をすれば人口減少が被災地では急速に進んでいます。先ほど申し上げたように、ジェットコースターが降下中だったのが、震災によってまっすぐ急降下していると言ってもいいわけです。被災地には失礼とは思いますが、被災のことを言っているのではありません、人口流出の勢いと、時間の進行による人口減のことを危機感を込めて申し上げているだけです。

問題は「復興」ということが成立しないということです。亡くなった人は戻ってきませんし、流出した人口も恐らくは戻らないでしょう。少子化社会の反映で、生まれてこなかった次世代は、いつになっても生まれては来ません。ということは、「回復すべき過去」へ向けていくらハコモノを造り、かさ上げをしても結局は「復興」にはならないのです。幻想というのはそういうことです。

ここまでは、あくまで2011年当時の民主党政権の失敗を指摘するために申し上げました。改めて申し上げますが、このような指摘は被災地には失礼だということは重々承知しています。ですが、問題は被災地ではなく、結局は東京の政府であり、それを支えている被災しなかった側の世論であるわけです。

では、どうして政府は、恐らくはムダになるかもしれない工事を延々と続けるのでしょうか?施行業者を潤してGDPを下支えするという目的はあるでしょう。ですが、多くの復興事業は投資としてリターンは期待できない、そんなことは分かっているはずです。にもかかわらず工事を継続する、それは、単に利益誘導ということではないと思います。

巨大な防潮堤、多くの場合はムダに終わりそうなかさ上げ工事、そして巨費を投じた高台の造成地、こうした建造物は、どうして造られたのでしょうか?

それは災害の恐怖と、再発への不安の反映だと思います。防潮堤ができれば、安心してその内側で暮らせるわけではありません。そもそも視界を大きく遮る防潮堤の近くでは落ち着いた生活は無理でしょう。前提として、たとえ巨大防潮堤が完成していたとしても、その近辺は津波危険地区として、たぶん居住は認められないのだと思います。

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