シティ・ポップの空を翔ける“一羽の鳥” 〜作曲家・滝沢洋一が北野武らに遺した名曲と音楽活動の全貌を家族やミュージシャン仲間たちが証言。その知られざる生い立ちと偉大な功績の数々

 

約40年も発売延期になったまま。幻のセカンド・アルバム『BOY』CD化への道

前項のご長女へのインタビュー内にも登場した、幻のセカンド・アルバム『BOY』。

1982年7月25日の発売が事前に予告されながら、諸事情で延期となり、現在も未発売のままとなっている。

その存在は、滝沢のラスト・シングル『サンデーパーク』(1982年6月25日発売)の歌詞カードに小さく出ていた「アルバム発売のお知らせ」で判明した。『BOY』は、このラスト・シングルが出た1カ月後には店頭に並ぶはずだった。

IMG_6991

滝沢のラスト・シングル『サンデーパーク』(1982)

ご遺族の話によると、1982年の頭に日本初のリゾートスタジオとして有名な「伊豆スタジオ」(静岡県伊東市)にて、滝沢や参加ミュージシャン、発売元のワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の担当ディレクター、エンジニアらとともに泊まり込みでレコーディング合宿を敢行し、約10日間ほどかけて完成させたという。

しかし、発売直前に行われた社内の販売会議の選考に漏れ、担当者の転職などの諸事情も重なって、『BOY』は幻のアルバムになってしまった。

IMG_boy04

『BOY』レコーディングが行われた「伊豆スタジオ」。滝沢の自宅に全員集合し、カレーを食べてから車で伊豆へ向かったという

IMG_boy03

伊豆スタジオ『BOY』レコーディング合宿の様子。右側で酒瓶を持っておどけているのが滝沢。中央の茶色いメガネの男性がアレンジ担当の徳武弘文氏

IMG_boy01

伊豆スタジオにてシンセの名機『プロフェット5』を操作する滝沢

現存していた幻のマルチマスター・テープ

このアルバムのマスター音源は、現在どうなっているのだろうか。そして、この音源をいまCD化することは可能なのだろうか。名盤『レオニズの彼方に』の初CD化に尽力した金澤寿和氏にお聞きしたところ、意外なご回答があった。

幻のセカンド・アルバム『BOY』に関しては、自分もずいぶん前に滝沢さんのご遺族からメールを頂戴し、やりとりしたことがあります。

『レオニズ〜』が出た後、実はCD化に向けて動いていた方がいらしたんです。現在もいろいろなアナログ音源の復刻に尽力されている方です。

すぐに彼とコンタクトを取ってみましたが、『BOY』のマルチマスター・テープの存在、レーベルコピーはもう確認できているそうです。

ところが、その後に制作した記録のある2chミックスのマスター・テープが保存されていないようです。

なんと、マルチマスター・テープは現存しているという。しかし、そこからミックスダウンしたマスター・テープが行方不明のまま。ミックスダウンには手間も資金もかかるため、商品化にはそのミックス済のテープが必要となる。

後日、ご遺族にこの件をお尋ねすると、「テープを見たことは無いが、ミックスダウンを終えたマスターからダビングした音源と思われるデータが、滝沢のPCに残っている」という。そのデータは今も現存し、ご長女が家族で聴いていたと語っていたのは、この音源データであった。

立ちはだかる壁と差し込んだ希望の光

このデータから、幻のセカンド・アルバムをCD化することは可能なのか。ご遺族から音源データを受け取ると、さっそく金澤氏を介してワーナーで社外プロデューサーをされているという方へご連絡を入れた。

「この音源データでCD化は可能でしょうか?」

ワーナーミュージック・ジャパン・インターナショナル・ストラテジック邦楽部門の小澤芳一(おざわ・よしかず)氏は、今まで数多くの名盤のCD復刻に尽力されてきた人物だ。2年ほど前に滝沢の『BOY』のCD化に向けて、マスター・テープの所在確認や権利関係の調査を進めていたという。その小澤氏からの回答は以下ようなものだった。

「おそらく2chミックス・テープからカセットに落としたものだと思いますが、ヒスノイズが目立ち、このままではCDマスターにはなりません」

しかし、このミックス音源を参考にしながら、現存するマルチマスター・テープからミックスダウンをし直すことは可能だという。

マルチマスターは4本あり、これをすべてミックスダウンしたとして、マスタリングをかける費用を含めてもそう高くは無い金額でCD用のマスター音源は作れるそうだ。

問題は、アルバム発売の「権利関係」。82年当時、発売が延期された後に販売権が別のレコード会社に移っていないか、お蔵入りになった原因がCD化に支障をきたすことは無いか……など、状況を詳しく知る当時の担当者に確認する必要がある。

この件について現在、金澤氏、小澤氏ら多くの音楽関係者が奔走し、CD化および配信化に向けて動き始めている。

_20210417_135433

滝沢家に保存されていた『BOY』のジャケットデザイン

ご遺族が長年ずっと願い続けてきたセカンド・アルバムの発売実現まで「あと一歩」まで来た。本来の発売日である1982年7月25日から、来年の7月で丸40年。32歳の滝沢がシンガー・ソングライターとして全精力を傾けて作り上げたセカンド・アルバム『BOY』は、少年時代の海外生活の記憶や夢をいっぱい詰め込んだまま、再び海を超えようとしている。

print
いま読まれてます

  • シティ・ポップの空を翔ける“一羽の鳥” 〜作曲家・滝沢洋一が北野武らに遺した名曲と音楽活動の全貌を家族やミュージシャン仲間たちが証言。その知られざる生い立ちと偉大な功績の数々
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け