感情的納得性を得るための「共感的理解」
ひとことで言うと「共感的理解」です。人間関係において「相手のことを理解する」ことが大切だとよく言われます。そのときに、相手の考え方や立場だけでなく、相手の「気持ち」もあわせて理解しようとするのが共感的理解です。
相手の気持ちが良いか悪いかは関係ありません。正しいか間違っているかも関係ありません。ましてや、そうあるべきかどうかなど全く関係ありません。目の前にいる相手が、「いまどのような気持ちなのだろうか?」と想像し、それを尊重、理解しようとすることです。
この場合の「理解する」とは、自分も同じように思うということではなく、また、相手の気持ちを正当化させることでもありません。ただひたすら、相手の気持ちを「知ろうとする」ということです。
「おこっているのかな」
「不安だろうな」
「なんかつらそうだな」
「不満を感じていそうだな」
「うれしいだろうな」
「誰かに聞いてもらいたいのかな」
「一緒に喜んでもらいたいのかな」
「認めてもらいたいのかな」
このように、心の中で相手の気持ちを口にしてみることが「共感的理解」です。この気持ちに配慮して、話し方や接し方を工夫することで感情的納得性を得やすくなります。
感情的納得性には自分と相手との間の信頼関係が大きく影響し、特に自分の気持ちをわかってくれる人に対しては信頼感が増してくるからです。その結果、「あなたがそう言うのであれば」とココロから納得することができます。
できるだけ気持ちに配慮した対応を
さて、オンライン会議の顔出し問題に戻りましょう。上司は「お互いの表情を確認し合うことにより、コミュニケーションの円滑化が図れる。一緒に良い仕事をするために理解して欲しい」――このようなことを丁寧に説明すれば、とりあえず「論理的納得性」を得ることはできるでしょう。そこで、「では明日から全員顔出しね。以上!」とやったら、部下はどう反応するでしょうか。
大きく2つに分かれるでしょう。1つ目のパターンは、すでに上司との間に信頼関係があり、あの人がそう言うのならまあいいかと考えて顔出しOKとなる人たちです。論理的納得性と感情的納得性の両方がそろうことで、双方にとって問題解決です。
これが理想のパターンですが、2つ目はそうはいかない人たちです。次のような反応が返ってきます。
「顔が見えなくても会議に支障はないと思います」
「顔が見えない分、話に集中できるんじゃないでしょうか」
「では、電話では仕事ができないということですか」
「メールで十分な意思疎通ができているじゃないですか」
一見、理屈で反対しているように見えますが、その裏には次のような感情的な反発が潜んでいます。
「自宅を見られるのはいやだな」
「会議のためにわざわざメイクをするのは煩わしいな」
「せっかくルームウェアでリラックスできているのに」
「友達の会社は声だけでやっているのに何でウチだけ」
最初から顔出しNGという感情的な結論ありきで、後付けで理屈を探しにいっているのです。