江戸時代を舞台にしたドラマや映画にかならずと言っていいほど映り込んでいる、天秤棒の両端に桶などを下げて売り歩く「棒手振(ぼてふ)り」の商人。食品や日用品などあらゆる物を売り歩くこの商売形式が、江戸の都市経済の一翼を担っていたと言っても過言ではありません。今回のメルマガ『j-fashion journal』では著者でファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんが、そんな棒手売りのシステムを詳しく紹介。さらにネットビジネスとの共通点を指摘するとともに、棒手売りから得られるヒントについても考察しています。
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棒手振りとネットビジネスは似て非なるもの
1.棒手振りというベンチャー
棒手振とは、天秤(てんびん)棒の両端に、商品の入った箱や籠を吊り下げ、棒を肩に担ぎ、魚・野菜など食材や食器、箒(ほうき)といった日用品を売り歩く商人、商売を指す。
当初、幕府は、50歳以上の高齢者、または15歳以下の子ども、そして身体が不自由な者に、振売札(棒手振りの許可証)を与える方針だったが、都市部で庶民が簡単に起業できるとあって、次々と一般の人が参入した。
それまでの起業は、職人の親方の元で修行するか、商家に丁稚に入って修行するか、いずれにしても、努力と長い時間が必要だった。しかも、自分で店を構えるとなれば、店舗を構えるための土地購入や権利等も必要である。
ある意味で、思い立ったその日から働けるというのは、現在のバイトアプリにも似た手軽さがあったはずだ。当然ながら、仕事のない者が大量に棒手振となった。
幕府にとって、最初は弱者救済事業だった棒手振りが、いつのまにか失業者対策になっていたのだから、黙認せざるを得なかったと思う。
万治2(1659)年、幕府が「振売札」を発行した時点で、江戸だけで約5,900人いたという。更に、許可証を持たず、税金を払わない闇営業の棒手振りも多かったというから、実際に何人いたかは分からない。
これほど棒手振りが増えた理由は、江戸の人口増加と食料品の流通が整備されていなかったことが上げられる。棒手振りが増えることは、大名や庶民にとっても生活の利便性が上がることであり、歓迎されたのだ。
2.棒手振りのシステム
誰でも簡単に起業できるという意味では、現在のネットビジネスに近い。しかし、誰でも起業できるからこそ、競合も激しくなり、一部の者は大成功し、大多数の者はギリギリの生活を余儀なくされた。
新人の棒手振は、まず棒手振りの親方を訪ねる。親方は商品の仕入れ代金(600~700文/1文12円換算で7,200~8,400円)と、天秤棒や籠一式を貸し、さらに河岸(かし=卸売市場)の場所や仕入れの値段相場など、最低限の知識をレクチャーし、即日商売を許したという。
1日の商売が終わると、親方から借りた仕入れ代金100文につき利息2~3文(144~252円)をつけて返済し、残った金が棒手振の収入となった。売り上げは1日1,200~1,300文(14,400~15,600円)で、手元に残るのはだいたい580文(約7,000円)程度(上記の金額は『文政年間漫録』の野菜売りの事例である)。
この金額もリアリティがある。現在のコンビニ等のアルバイト、ウーバーイーツなどと比較しても悪くない収入だ。ネットビジネスと比較しても、資本や経験も必要ないし、確実に収入が得られるビジネスモデルである。
棒手振りで得た収入を節約して生活し、日々の仕入れ代金を自分で払えるようになった者や、商いのコツを覚えた者は、親方から独立していった。一方で、親方の下で日雇い労働者のような身分に甘んじている気楽な棒手振も多かったようだ。こんな状況も現代と変わらない。
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