真珠湾攻撃は米国に何を残したか。9.11テロで活かされなかった教訓

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今年の12月8日で開戦80年を迎えた太平洋戦争。その端緒となった真珠湾攻撃ですが、なぜアメリカは2,000名を超える犠牲者を出すに至ってしまったのでしょうか。軍事アナリストの小川和久さんが主宰するメルマガ『NEWSを疑え!』では今回、共著者である静岡県立大学グローバル地域センター特任准教授の西恭之さんが、米政府が真珠湾攻撃を察知できなかった理由を解説。さらに日本による奇襲を許した経験がアメリカの「安全保障国家」化を進めはしたものの、9.11米同時多発テロにあたってはその教訓が十分に生かされなったという事実を伝えています。

※本記事は有料メルマガ『NEWSを疑え!』2021年12月9日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

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真珠湾の教訓を活かせない米国情報機関

日本海軍による真珠湾攻撃は、奇襲攻撃を受けてはならないという教訓を米国に与え、CIA(中央情報局)を始めとする情報機関の設置と拡大を促したことによって、世界に影響を及ぼし続けている。

真珠湾攻撃の成功は、日本海軍の計画と訓練の結果でもあるが、米国の情報活動の失敗が連鎖して発生した結果でもあった。米政府は日本の攻撃による開戦のおそれが高まっていると認識し、太平洋全域の米軍施設に警報を発していた。日本の空母6隻は行方をくらましていた。米政府は日本側が真珠湾の艦艇・施設の情報を収集してきたことも知っていた。英国の空母艦載機が1940年11月、イタリアのタラント軍港を空襲して戦艦3隻を大破着底させたことで、真珠湾にも同様の攻撃がありうることが明らかになっていた。

これらの情報があったのに真珠湾攻撃を察知できなかったのは、情報共有・統合の手順に欠陥があり、日本側の目的と意思決定過程を分析する能力もなかったからだと、米国人は開戦後ほどなくして認識した。日本の外交暗号を解読していた米陸軍と、日本海軍の暗号の一部を解読していた米海軍は、情報を統合するため協力できなかったので、大統領にも当番制で別々の日に報告していた。国務省と陸海軍の協力も不十分だった。フィリピンの米極東陸軍(マッカーサー司令官)も、外部の情報を有効に利用しなかった結果、日本軍の奇襲を許した。

米政府・議会は中央集権的で専門的な情報機関の必要性を思い知ったが、その経験がなかった。英国の助言を得て1942年6月に設置した戦略情報局(OSS)はCIAの前身だが、主に敵占領下の国々における抵抗運動の設立と破壊・攪乱《かくらん》工作を行い、大戦中の米国の情報収集・分析のほとんどは引き続き陸海軍が行った。

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