真珠湾攻撃は米国に何を残したか。9.11テロで活かされなかった教訓

 

1947年の国家安全保障法は、陸軍から空軍を分離し、国防総省(49年まで国家軍政省)、統合参謀本部、国家安全保障会議(NSC)、CIAを設置した。このような組織からなる「安全保障国家」は、米国が核兵器で奇襲された場合の損害は真珠湾攻撃の比ではないという危機感の下で形成された。

それゆえ、さまざまな情報を収集・統合し、CIA長官でもあり情報コミュニティの統括者でもある中央情報長官(DCI)から大統領に報告できるようにすることが、情報機関の使命となった。1962年以後はロバータ・ウォールステッターの名著『パールハーバー──警告と決定』によって、情報機関の間の情報共有の重要性が広く理解されるようになった。

その一方で、官僚機構が肥大し、それぞれの権限を手放さないのは米国の情報機関も同じだった。また、CIAによる米国内のスパイ活動が1970年代に暴露されると、CIAとNSA(国防総省国家安全保障局)の国内活動が法律で制限され、世論も政治家も、国際テロ組織についてCIAやNSAのもつ国外の脅威情報と、FBI(連邦捜査局)のもつ国内の脅威情報の統合を要求しなくなった。

その結果、米国の情報コミュニティは、アルカイダの目的の分析に基づいて脅威情報を共有することができないまま、2001年9月11日を迎えた。同時多発テロの衝撃を受けて、中央情報長官の職務を国家情報長官(DNI)とCIA長官(DCIA)に分割するなどの改革が行われたものの、1947年ほどの大改革はなかった。その点で、真珠湾攻撃は今もなお、9.11米同時多発テロより大きな影を落としている。 (静岡県立大学グローバル地域センター特任准教授・西恭之)

※本記事は有料メルマガ『NEWSを疑え!』2021年12月9日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

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地方新聞記者、週刊誌記者などを経て、日本初の軍事アナリストとして独立。国家安全保障に関する官邸機能強化会議議員、、内閣官房危機管理研究会主査などを歴任。一流ビジネスマンとして世界を相手に勝とうとすれば、メルマガが扱っている分野は外せない。

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