もっと心を豊かに。なぜ人は「オンリーワンの服」を着なければいけないのか

 

3.サプライチェーンと顧客の共同体

ラグジュアリーブランドは、どのように商品を高く販売しているのか。モノとしての商品だけを見るなら、一等地に一流の建築デザイナーが建てるのは無駄である。スーパーモデルを使ったファッションショーも、一流ファッション雑誌に広告を出すのも無駄である。それらの無駄な資金を商品作りに集中すれば、もっと品質の良い商品が安く提供できるだろう。

日本では、こうしたモノ偏重の考え方が主流である。しかし、世界の市場はそうではない。そもそもモノの違いなど素人には分からない。ましてや価格の違いの根拠も分からない。

それよりも、好きなブランドの商品を販売しているスタッフがリッチな生活を維持することができて、その商品を作るメーカーの社員も豊かな生活を維持することができること。その商品を購入した自分自身も豊かな気持ちになることが重要なのである。

サプライチェーン全体と素敵な顧客達のコミュニティ、共同体を維持すること、常に刺激的なコレクションを発表する活動を維持することに対して、顧客は投資し、満足感とステイタストというリターンを受けとっているのである。

これは最早、モノだけの世界ではない。モノだけならいくらでも安い商品があふれている。

安く作って安く販売するのは、人件費の低い新興国のビジネスだ。先進国のビジネスは、安い原材料でも、そこに高い付加価値を加え、高く販売するという豊かで文化的かつ芸術的な社会のエコシステムを意味する。少ない資源で大きな付加価値を生み出すことと、大量生産により大量の資源を消費し、売れ残りの商品を大量に廃棄することと、企業としてどちらを選ぶのか。それが問われているのである。

4.個人の人格を演出するファッション

アパレル企業がどうなろうと、顧客には関係ない。大手アパレルが淘汰されようと、中国生産からベトナム生産に切り替わろうと全く関係がない。

国内生産でも、ブラックな環境で生産しているなら支持しようとは思わない。また、経営者が膨大な資産を蓄えているのに、社員の生活が貧しければ、そんな企業の商品を購入する必要はない。

ファクトリーブランドでも、デザイナーズブランドでも、インフルエンサーブランドでも関係ない。要は、商品と作り手の思想、サプライチェーンに共感できるのか、否かである。

購買行動とは、モノと現金の交換ではない。社会への投資であり、企業の評価であり、サプライチェーンと顧客によるコミュニティへの支援なのだ。

アパレル商品と他の商品の違いは、それを着用した顧客の人格や個性そのものを演出するアイテムであるということ。

したがって、人権や環境を軽視している企業の商品を身につけることはできない。人権を軽視しているブランドの服を着ることは、自ら人権を軽視していることを宣言することになるからだ。

ヨーロッパの無印良品のファンが、「無印良品は大好きなのに、新疆綿を使っているので買えない」とテレビで語っていた。この発言を軽視してはならないだろう。

また、ブランドの服を身につけることは、商品を作るデザイナーの哲学、美意識、価値観に賛同した証でもある。自社の利益だけを考えて作られた商品をわざわざ着用する意味はない。そして、そうした企業の姿勢は顧客に伝わるのである。

持続可能とは、顧客が持続可能を願うからこそ意義がある。持続しなくてもいい企業、商品は淘汰されて欲しいと願っているだろう。

これまでの大多数の日本企業は自社の利益を追求することに専念していた。それが悪いことだとも思っていなかった。しかし、時代は変わった。特に、ファッションに関する消費行動はその典型となるだろう。

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