江戸っ子が安政江戸地震にめげる暇もなく復興へと歩み出せたワケ

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幕末期の江戸を襲い、市中を破壊し尽くした安政江戸地震。しかしそこからの再興の機運は目を見張るものがあったといいます。今回のメルマガ『歴史時代作家 早見俊の「地震が変えた日本史」』では、迅速な復興を可能にした庶民たちのたくましさを紹介。さらに早見さん自身が今日でも見習いたいとする「江戸っ子気質」を綴っています。

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安政江戸地震「第四回 逞しき江戸っ子」

今週は江戸の復興状況、江戸っ子の逞しさから語り出します。

迅速に町人たちが復興活動を始められたのは、火事と喧嘩は江戸の華という大火慣れというか、日頃からの火事への備えと意識があったからです。会所には炊き出しに使う米が大量に備蓄されていました。

また、大店の商人などの裕福な町人は積極的に寄付金を拠出しました。今回に限ったことではなく、災害時に罹災した者へ施行するのは、金持ちの義務だと受け止められていたのです。町奉行所は寄付をした町人の名前を金額と共に自身番に張り出しました。大商人たちは面子にかけて競って寄付をしたのです。

もちろん、大商人たちも被害を受けています。店が倒壊したり、焼失したりもしましたが、財産を全て失う者はそんなにはいませんでした。彼らは頑丈な土蔵を持っており、千両箱や家宝、米、味噌、醤油などを保全していました。土蔵には穴蔵といって地下に穴を掘って石や木で囲った蔵があり、大事な証文や千両箱を収納していたのです。

分限者と呼ばれた大商人たちは、宵越しの金は持たない庶民とは別世界の住人と言えました。庶民が貯金をせず、銭金があれば、あっただけ使ったのは火事が多かったからだと言われています。長屋住まいの町人が土蔵も穴蔵も持てるはずもなく、火事で焼け出されたら家財を失ってしまう為、金なんか貯めたって仕方がない、宵越しの金は持たない、という町人が多かったのでした。

それが金にきれいでケチケチしない江戸っ子気質を象徴する言葉として流布しました。

江戸の庶民は逞しく大震災から復興してゆきます。めげる暇もなく復興への気力を湧き立たせることができたのは宵越しの金を持たない、という価値観の為でしょう。焼け出されても失う財産と呼べるお宝、大金は持っておらず、喪失感が薄かった、と想像できます。命が助かれば儲けもの、やり直せばいいと気持ちの切り替えも早かったのではないでしょうか。

今日でも見習いたい江戸っ子気質ですね。

立ち直るのも早かったのですが、それどころか火事を楽しむ連中もいました。火事が起きると見物する物が後を絶たなかったのです。趣味は火事見物という不謹慎な江戸っ子もいたのです。

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