本来の教育現場は、現代政治や国家からできるだけ自由であるべきだ。そうでなければ、政治体制の変更ごとに教育の場にも政治介入を招いてしまう。カリキュラムが、愛国教育でも、リベラル教育でも、宗教教育でも、社会主義教育でも構わない。だが、いったん政治利用をすると決めたのならば、相応の準備と、政治に巻き込まれる覚悟が必要である。しかし、籠池氏にはその準備と覚悟がなかった。それだけのことだ。
一時は、時の権力者(安倍首相)の取り込みに成功したと思われた籠池理事長のもとには、組織や個人、宗教団体、あるいは自民や維新や社民党やN国などの政党が、自らの政治的道具として押し寄せた。
右も左もない。エゴにまみれた勢力が、学校法人のブランドを使おうと寄ってたかって食い物にしようとしたのだ。だが、それらは所詮、事後的な事象だ。
つまり、初代の森友寛理事長のように、時の政治権力(田中角栄首相など)とは適当な距離を保つべき教育の場に、幼児教育の精神も本質も知らない安倍首相をこれ見よがしに呼び込んだ判断ミスが一連の事件のすべてなのである。
情報が錯綜して見えるのは、誰もがこの本質を直視しないからだ。右往左往するメディアの情報の目くらましにあわないよう、各自リテラシーを高めることが必要だ。
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image by: htomari, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons
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