ロシア軍司令官も捕虜に。総反撃のウクライナ軍に為す術なきプーチン

 

それも10日朝にオスコル川西岸の制圧で、東岸地域に砲撃をして、ロ軍はオスキル川の橋を破壊して、東岸に撤退したが、午後にはクピャンスク市をウ軍が奪還している。

このクピャンスクは、ロ軍空挺部隊100名が守備していたが、郊外からロ軍兵をかき集めようとしたが、それより早く、ウ軍が到達して、市中心部を守ることもできず敗走した。

M270MLRSも前線に進んで、M777榴弾砲も進み、ウ軍進軍前面にいるロ軍陣地は大変な攻撃を受けている。砲撃戦でもウ軍が優位であり、ロ軍は、VKS攻撃機でウ軍機甲部隊を空爆しているが、ブークやスティンガーなどの防空兵器もあり、SU-25などが撃ち落されている。

9日には、クピャンスクからイジュームへの主要道P79の街センコヴェまで戦車隊は到達し、そのまま、P79をイジューム方向に南下して10日にイジュームで市街戦になった。バラクリアから高速M03線でも南下して、こちらもイジューム近郊に到達した。そして、ロ軍はイジュームを包囲される前に撤退。しかし、しんがりのイジュームから脱出できなかった露軍の空挺部隊がいくつか包囲されている。

11日ウ軍はドネツ川沿いに露国境そばのボルチャンスクに向け北上中で、ドネツ川を渡河してヴォフチャンスクを奪還。クピャンスクからボルチャンスクに移動していたハリコフ州軍民政府は、ロシア国内に移動したようだ。

ロ軍は体制立て直しができないほど、ウ軍の攻撃スピードが早い。イジューム近郊のロ軍弾薬庫もウ軍の手に無傷で入っている。

このウ軍攻撃に合わせて、10日スラビアンスク東側からリマンやヤンピルに、ウ軍は攻撃開始し、11日にはクレミンナ、スバトボまで進撃し、セベロドネツクの近郊リシチャンスクで戦闘が発生したようだ。ルガンスク州へ攻め入ったことになる。急速に状況が変わるが、この戦線でもロ軍崩壊のようである。

ロ軍撤退でドネツク州北部やハリキウ州からロ軍を排除したが、戦果を拡大するためにルガンスク州でもロ軍が退却になり、ウ軍は追撃する好機を掴んで、どんどん追撃している。

ウ軍は、ロ軍の防衛線構築を阻止することで戦果を拡大できる。また、ウ軍は追撃のためにも鉄道線路を押さえ、兵站確保が必要になってきた。

このウ軍奇襲攻撃を「先鋒作戦」というようであるが、その指揮をしているのが、シルスキー大将57歳。春にはキエフ防衛戦でも活躍し、4月に「ウクライナ英雄」の称号を授与されたという。

この奇襲成功は、P07道路沿いのロ軍陣地を迂回して進撃したことで孤立したロ軍が混乱したことと、ロ軍の正規兵を南部ヘルソンやドネツクに送り、残ったのが、募集兵やLRP、DRP部隊が多く、それも訓練なしで送り込んだことで、ウ軍攻撃で浮足立ってしまったことが大きい。

一番大きいのは、ロ軍戦車部隊を南部ヘルソン州に移動させ、古い装備の装甲歩兵部隊がメインで、ウ軍の機甲化部隊の戦車隊に対応できなかったことである。ロ軍の退却速度より、ウ軍の進軍速度の方が早く、逃げることもできないようである。

後方にいるべき砲兵が歩兵の逃亡で、前線に取り残される事態も起き、大混乱の様相であり、孤立したロ軍兵が各所にいる。

その上、ウ軍は各所に多数の特殊部隊を忍ばせ、ロ軍陣地、大砲の位置を事前に攻撃部隊に知らせていた。それがウ軍の正確で迅速な作戦行動と結びついて大きな成果を出した。

また、ウ軍特殊部隊は、増援のロシア国家親衛隊を待ち伏せ攻撃して、殲滅させ、逆に、前線から撤退してくるロ軍部隊を撃破、捕虜の獲得をしている。この中には捕虜となったロ軍東部方面連隊司令官のアンドレイ・シチェヴォイ中将もいた。

というように、ロ軍配置の弱点を突いたウ軍の作戦勝ちの様相である。そして、頑強な抵抗をしたロ軍最強の第237落下傘強襲近衛連隊がバラクリヤ市で全滅した。

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