ロシア軍司令官も捕虜に。総反撃のウクライナ軍に為す術なきプーチン

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8月29日の総反撃開始以来、東部地域の集落を次々と奪還するウクライナ軍。9月7日の東方経済フォーラムにてプーチン大統領は「ロシアは何も失っていない」と言い切りましたが、その発言にはかなりの無理があるようです。今回のメルマガ『国際戦略コラム有料版』では日本国際戦略問題研究所長の津田慶治さんが、ロシア軍の敗走が続くウクライナ紛争の戦況を詳細に解説。さらにこの先国際政治上で起きる大きな変化を予測しています。

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ハリキウ州のロ軍崩壊

ウクライナ戦争はウ軍がクピャンスク市やイジューム市を奪還して、ロ軍は総崩れの状態である。今後を検討しよう。

ウクライナ独立記念日の8月24日後の29日から南部ヘルソン州のドニエプル川西岸地域と9月6日から東部ハルキウ州のクピャンスク市の奪還に向け、ウ軍は総反撃を開始した。

ウ軍は、ドニエプル川のヘルソン市とノバ・カホフカまでの全域でロ軍の連絡線を途絶させる攻撃を継続し、カホフカ橋を完全に破壊したし、各所のポンツン・フェリーとタグボートを破壊した。アントノフスキー橋にロケット弾を多数打ち込み、船橋も破壊している。インフレット川のダリフスキー橋も再度破壊した。ヘルソン市の造船所付近のポンツン・フェリー乗り場も砲撃した。補給の途絶を継続的に実施している。

そして、ウ軍は南部ヘルソン州で、3方向で反撃していた。1軸は、ヘルソン市の北からロ軍に占領されたブラホダトネを奪還し、高速道路M14のキセリフカで激戦になっているが、ロ軍の抵抗が激しく、現状ではキセリフカはロ軍が確保しているし、ロ軍の反撃も強い状態が続いているために、前進できないようだ。

2軸は、ヘルソン州中北部のロゾベの橋頭保からロ軍を攻撃する軸であり、スクイー・スタボクを奪還し、ベジメンネも奪還、T2207号線を南下して、両軍が激戦中である。しかし、ロ軍陣地を迂回で、前線突破した。

このため、ウ軍はダビド・ブリッドに向かわずに、メイン道路を避けて、ロ軍がいない地方道を進んでいる。こちらもロ軍の反撃も強くなってきた。

3軸は、ヘルソン州北東部では、アルハンヘルスク、オリヘネを奪還して、ビソコピリアも奪還した。徐々に南下している。ノヴォヴォスクレセンスキも奪還したようだ。

しかし、ロ軍の精鋭部隊がいるので、南部ヘルソン州ではロ軍の配備立て直しもあり、ウ軍は苦戦を余儀なくされている。逆に言うとロ軍の精鋭部隊を南部ヘルソン州に貼り付けている。

このため、ウ軍も無理をしないで、攻撃から守備になり、東部にメインの戦車部隊とM270MLRSを回したようである。逆に言うと、陽動作戦であった可能性もある。結果的にみるとだが。

東部地域を奪還するために、あたかも南部ヘルソン州で大反撃を行うような振りをして、ロ軍の東部の戦力を南部に持ってこさせていたということもできる。

このような準備の上、ウ軍は奇襲攻撃して、東部ハルキウ州のクピャンスク市奪還を目指し、ウ軍機甲部隊が戦場の主役となって、1日30kmの猛スピードで進軍している。この奇襲に匹敵するのは、44年のアルデンヌか、73年のゴラン高原などのようだ。

それと、ウ軍がロ軍の防衛線を戦術的な越境にとどまらず本格的に突破したのは、戦争開始以来で初めてのことである。

このクピャンスクは、ロシア・ベルゴルドからの鉄道とロシア・バリイキからの鉄道の結合点で、ここから鉄道でイジューム方面へ物資を送る補給の要衝であるが、ロ軍はクピャンスクを失った。

7日の段階でピロホリウカを奪還し、8日でバラクリア、セメニフカを奪還し、約20以上の町を解放したという。そして9日には、シャブチェンコフを奪還し、クピャンスクの近郊15kmのフルシフカとスタロビリフカに到達し、30以上の集落を奪還。10日にはクピャンスク市に入った。

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