ホンマでっか池田教授が「命名行為」を一種の権力行使と考えるワケ

 

少し前に日本遺伝学会が、遺伝学で使われる優性・劣性を顕性・潜性に改称すべきだと主張した。優性・劣性というコトバは価値観を含み、優性遺伝するものは優秀な形質で、劣性遺伝するものは劣悪な形質だと誤解されていることが多いので、これを是正して価値から独立なコトバに変えるべき、というのがその理由のようだ。

ところが、多くの生物学者にとっては、遺伝学で使う優性・劣性に価値観が含まれないのは自明で、慣れ親しんでいる用語をわざわざ変える必要性がなかったようで、この改称提言はあらかた無視されたみたいだ。日本遺伝学会は自分たちが考えるほどには権威がなかったのである。

しかし、この改称提言がうまくいかなかった一番大きな理由は、一般の人たちが優性・劣性という遺伝用語を使う機会がほとんどなかったことと、この用語にあまり差別的な雰囲気を感じなかったからであろう。それに対し、痴呆症を認知症と言い換えるべきという厚生労働省が2004年に行った提言が、あっという間に世間に拡がったのは、この言葉を使っている人が多かったのと、痴呆症は侮蔑的だ、との意見が一般に受け入れ易かったからであろう。

これは、精神分裂病を統合失調症と言い換えた事例にも当てはまる。まあしかし、私自身の考えを言えば、差別はコトバの中にはなく、コトバを変えても差別はなくならず、むしろ隠蔽されるだけなので、基本的に改称はしない方がいいと思う。

命名が権力行使だということが最もよく分かるのは、政治的な理由により、地名が変わることである。例えば、ロシアのサンクトペテルブルグは、1703年、ピュートル1世の建設命名になる街だが、1914年、第一次世界大戦が始まってロシアがドイツと交戦状態になると、ドイツ語風の名からロシア語風のペテログラードに改称され、1924年にロシア革命により、ソビエト連邦が成立すると、建国の英雄レーニンに因んで、さらに、レニングラードと改称された。1991年にソ連が崩壊すると、住民投票によってかつてのサンクトペテルブルグという名が復活し、現在に至っている。万が一、今起こっている紛争で、ロシアがウクライナに勝ったりすると、プーチノグラードになりかねないな。

最近でも、ロシアがウクライナに理不尽な武力侵攻をして以来、ウクライナ政府によって、ウクライナの首都は従来よく使われていたロシア語読みのキエフからキーフに、原発のあるチェルノブイリはチェルノービリに変更され、日本政府も追随したようだ。

こういう政治的な地名改称はよくあって、ベトナム最大の都市ホーチミンは、かつてサイゴンと呼ばれたが、サイゴンが北ベトナム軍の攻撃によって陥落した後、ベトナム独立の英雄であるホーチミンの名に因み改称された。しかし、今でも市民の間ではサイゴンを使う人も多く、政府もそれを黙認しているようだ。

(メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください、初月無料です)

 

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