人生に生きる意味なし。ホンマでっか池田教授が年老いて判った事

 

宗教は死後の自我の存在を保証すると言っているわけだから(もちろん空手形に決まっているけれどもね)、自我の喪失が怖い人にとって、一縷の望みだという話はよく分かる。それで、カルト宗教は、お布施をすれば天国に行けると騙して、死ぬのが怖い人から金を巻き上げるわけだ。全世界的に見れば、何らかの宗教を信じている人の方が多いのは、多くの人は死の恐怖を、死後の自我の存在を信じることによって紛らわせようとしているからである。

ところで、こういう話になるのは、自分や人類が生きることに何らかの意味があると考えるからで、意味などないと考えてしまえば、話はまるで違ってくる。自分ももうすぐ死んで自我も消滅するけれども、人類そのものもいずれ絶滅して、すべての人の自我も消滅すれば、すべてはチャラになるわけで、死を恐れる理由は全くなくなる。

というふうに考えることができるようになったので、死ぬのは余り怖くなくなったのだ。前提をひっくり返せば、見える風景も全く違ってくる。ということが分かったところで、老いから解放されるわけではないけれどもね。まあ、何でそんなことを考えるようになったかと言えば、自分の余命はもはや幾許も無く、死ぬまでに活動できる時間は、ごく僅かなのを悟ったからだ。

私ばかりではないと思うけれども、末期がんなどの不治の病で余命宣告されていない限り、普通に元気な人は、60歳代くらいまでは、客観的には自分の残りの人生は有限だということは分かっていても、主観的には人生は無限に続くと思っている(まあ、そうでない人もいるかもしれないけどね)。

老化に加速度がかかる前までは、1年前までの自分の心身の状態と現在の状態はさして違いがないのが普通だろう。去年できたことは概ね現在もできる。だから、来年もできるに違いない。この状態が続く限り、人生は無限である。もちろん客観的には人生は有限であることは分かっている。亡くなった自分の父母や知り合いの老化現象をつぶさに観察した身としては、自分もいずれ同じ軌跡を辿って、死ぬんだということは、頭ではよく分かる。しかし、自分の老化に加速度がかかる前までは、主観的には、自分の死は腑に落ちない。(メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください、初月無料です)

この記事の著者・池田清彦さんのメルマガ

初月無料で読む

 

image by: Shutterstock.com

池田清彦この著者の記事一覧

このメルマガを読めば、マスメディアの報道のウラに潜む、世間のからくりがわかります。というわけでこのメルマガではさまざまな情報を発信して、楽しく生きるヒントを記していきたいと思っています。

有料メルマガ好評配信中

  初月無料で読んでみる  

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 池田清彦のやせ我慢日記 』

【著者】 池田清彦 【月額】 初月無料!月額440円(税込) 【発行周期】 毎月 第2金曜日・第4金曜日(年末年始を除く) 発行予定

print
いま読まれてます

  • 人生に生きる意味なし。ホンマでっか池田教授が年老いて判った事
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け