徴用工「解決案」に反発の声も。なぜ日韓関係は侮蔑を伴うほどに悪化したのか?

 

必要悪としての現状維持が大前提の38度線

その一方で、38度線に関しては現状が続く限り、このラインの北側では苦痛に満ちた人権侵害が構造的に続いていることから、現状は変更されるべきという考え方をしていました。ブッシュ=江沢民の時代にそうした対応が模索され、また胡錦涛は少なくとも熱心に金正日に対して改革開放経済を説きましたが、とにかく、そうした開放を進めるべきと考えていました。

ですが、現在、2023年の現在はそのような、北の改革開放も、そして南北の交流加速も非常に難しくなっているというのが現状認識です。韓国におけるユン政権の成立はそうした情勢を受けたものと考えられます。とにかく、いくら巨大な人権侵害が起きているからといって、北の体制変更というのは物理的に難しく、変更を仕掛けることでかえって「より深刻な人命と人権における被害」が現実のものとなる危険性を感じます。

従って、38度線に関しては必要悪としての現状維持を大前提に考えていかねばなりません。そして、やや悲観論に寄せて考えるのであれば、現状を平和的に維持することそれ自体が努力を伴うとも言えます。

今回は、こうした仮の前提に立って、今後様々な事態に対処してゆくために、考えておくべき問題を2点議論したいと思います。

日韓関係はなぜ侮蔑を伴うほどに悪化したのか

<1.歴史認識の問題>

朝鮮半島(韓半島)との外交において、歴史認識の問題は今でも難しい課題になっています。その根底には、日本による植民地経営失敗という問題があるわけですが、この問題を考える上には、改めて19世紀中葉以降の日韓関係に関する再評価ということが必要と思います。

具体的には2点挙げたいと思います。1つは、征韓論と江華島条約の「前史」についてです。現在に至る日本社会の「常識」としては、日韓外交のルーツとしては、西郷隆盛などの「征韓論」があり、彼らが岩倉視察団の出張中に勝手にこの方針を打ち立てたということになっています。

その上で、征韓論は欧米列強の介入を招くので却下された、けれども西南戦争後には日本は「まるでペリーの黒船来航のように」江華島事件を起こして韓国を開国させたという「流れ」、これが一般的な理解になっています。

この日本の行動ですが、征韓論にしても江華島事件にしても、「韓国が近代化と武装を怠っている」中では、半島全体が欧米列強の植民地になる可能性が高い、仮にそうなれば日本はすぐに狙われる、という仮定の認識があったとされています。

陸奥宗光が強引に日清戦争を仕掛けて、清朝を韓国の宗主国のポジションから放逐したのも、ロシアの挑戦を受けて日露の全面戦争に突っ込んだのも同じ理由とされており、この点では明治の対韓外交というのは一貫していたと言えます。

残念なことに、そこには当時から韓国に対する侮蔑意識のようなものが日本側にはあったようです。つまり、日本は欧米列強の脅威に覚醒して、政権交代もやり、鎖国の国是も止めて欧米の文化と文明を輸入するという厳しい選択をした。だが、韓国は依然として封建制、鎖国、近代化拒否、従って防衛力確保の放棄という怠慢を続けているというのです。

その韓国の怠慢が、日本にとっては国家の存亡を左右するほどのリスクだ、明治の日本はほぼ国是としてそのような認識を持っていたフシがあるわけです。ここで問題になるのが、その「前史」です。日韓関係はどうしてそのような侮蔑を伴うほど悪化していたのかということと、韓国(当時の朝鮮王朝)は、どうして近代化を怠っていたのかという問題です。

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