徴用工「解決案」に反発の声も。なぜ日韓関係は侮蔑を伴うほどに悪化したのか?

 

「攘夷に2回も成功した自分たちは偉い」というセンチメント

5年後のアメリカとの事件は、1866年のフランスとの一件の少し前に、アメリカの武装商船が撃沈され乗組員が虐殺されたという事件に対して、怒ったアメリカが海軍を派遣したのでした。米国側は、報復というよりもペリーの外交と同じように、韓国の開国を意図していたようですが、中途半端な軍勢を送ったために、「勝利したが韓国内に乗り込む兵力はなかった」のでした。

その結果、フランス同様に、米軍もサッサと撤退してしまいます。ここでアメリカの悪い癖である、韓国の軽視ということが起きたのです。つまり、より大きな力で開国を迫るのではなく、以降は無視してしまうのです。ですが、興宣大院君の側は違いました。フランスに続いて、アメリカの海軍をも打ち破ったのですから、政権の権威は向上しましたし、同時に「より真剣な防衛力を構築する動機」が失われました。

つまり、韓国側としては「日本ができなかった攘夷に2回も成功してしまった」のです。これが興宣大院君の統治に正当性を与え、キリスト教徒への過酷な弾圧と鎖国政策、無武装政策を継続させたのでした。

事実関係については異論はないと思いますが、私が気になるのは2つのことです。1つは、明治初期の日本は韓国が「2回の攘夷に成功してしまったと思っているので、無武装の鎖国政策を継続した」ということについて、どこまで正確な理解を持っていたのかという点です。知らなかったので征韓論や江華島事件を起こしたのか、知った上で起こしたのか、これは両国の歴史において重要な相違になると思います。

もう1つは、韓国には「自分たちは2回も攘夷に成功してしまって偉い」というセンチメントがあるようです。私が90年代に韓国に商用で頻繁に行っていた時期には、博物館等の展示はそうなっていました。ですが、実際は「攘夷に成功したと思っていたのが実は間違いで、近代化遅滞の原因になった」と考えるのが正しいわけです。その点の理解が現在はどうなっているのか、大変に気になります。

韓国の歴史認識を貶めようというのではありません。つまり、これは一種の悲劇です。興宣大院君という統治能力の低い人物が、偶然にもフランスとアメリカが揃って敗走したために、国の基本的な選択を誤った、これは韓国という国としては悲劇だということです。少なくとも、勝ってよかったという話ではありません。

なぜ日本の「朝鮮半島の経営」は無残な失敗となったのか

歴史認識に関しては、もう1つあります。それは、日露戦争の戦前から戦中の時点での「戦後への見通し」という問題です。戦争に勝ってしまった後は、とにかく朝鮮半島という巨大な地域と人口に関して「統治の空白」を起こすことはできない中で、流されるかのように併合に進んだ日本ですが、果たして戦前にはどんな計画だったのかという点です。

つまり、台湾の経営と比較すると、朝鮮半島の経営というのは無残な失敗となるわけですが、それは本当に「全力でロシアを追う払うことで精一杯」だったからなのか、それとも「何か事前に考えていたが、何らかの理由で計画性を喪失した」のか、よく分からないのです。例えばですが、児玉源太郎などは考えていたが、死んでしまったのでメチャクチャになったのか、あるいは誰も考えていなかったのかということです。

慰安婦の問題なども、キーセン文化の悪影響はあるにしても、戦地に帯同するケースの中で、朝鮮半島出身者が異常に多かった(秦郁彦氏の研究などによる)というのは、極めて経済的な事象としか言いようがありません。つまり、これ自体が半島経営に失敗したという証拠であるわけです。台湾は文明が薄かったが、韓国は独自の文明とプライドがあったので経営が難しかったというのも、分かったようで分からない議論です。

とにかく、無計画になし崩し的に併合して、その後の経営もスムーズに行かなかった本当の原因、これも日韓共同で研究できないものでしょうか。いずれにしても、江華島事件の「前史」の問題、併合失敗の原因の問題、この2つについては現時点ではまともな説が流布されていないのは非常に気になります。

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