毛沢東はかつて「婦女能頂半辺天(女性は空の半分を支えることができる)」と言ったが、中国政府のプロパガンダによれば、1949年以降、女性は男性と同等の地位を与えられ、実際に自分の人生の主人となったのである。あらゆる場面で、あらゆる職種で女性が活躍しているということ。
だからここで、「女性の地位が高い」「この状況でフェミニズムが必要なのか」という誤解が生まれる。現実には、いじめられる女性や、勉強する権利を奪われる農村地域の女の子はたくさんいるはずだ。
「婦女能頂半辺天」の思想は共産党政権のトップでも実現できない。中国共産党の意思決定機関である政治局には、もはや24人のメンバーの中に女性がいない。四半世紀ぶりという前代未聞の事態である。
共産党中央委員会の女性比率は5.4%から4.9%に低下し、205人の委員のうち女性は11人しかいない。常務委員会についても、変化はなく、依然として完全に男性が仕切っている。
実は、100年前に、中国では、中国にはフェミニスト作家がいた。例えば、盧隠氏(Luyin)、中国近代文学史上初のフェミニスト作家だと言われる。しかし、盧隠の運命は、あまりにも残酷で、彼女はとても勇敢だったが、常に拘束のダストネットから抜け出すことができない。盧隠はたくさんの女性擁護の言葉を残し、ほとんどの作品は、そこから浸透することは「女性の空は低く、羽は薄く、周りの負担はかさばる」のような叫び声である。
もう一人は、中国における女性教育の先駆者であり、女性の権利運動の最初の提唱者の一人であり、中国のジャーナリズム史上初の女性編集者であり、才能ある作家・作詞家でもあった呂碧城氏。1906年、呂碧城が23歳の時に徳と威信がある学者の厳復らの推薦で北洋女子師範大学の校長となり、近代中国で最初の女性校長となった。現在の中国なら、20代の女性大学校長は想像もできないだろう。
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