謙遜は本当に「美徳」なのか?やりすぎる人の人生が好転しないワケ

Hand put five Japanese coin on top roll of money on wood table in white backgroundHand put five Japanese coin on top roll of money on wood table in white background
 

日本独特の表現に“謙遜”があります。謙遜は美徳とも言われますが、「それをやりすぎてしまうと自分にとって良くない」と語るのは、無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』の著者・佐藤しょうおんさん。それは一体なぜなのでしょう? 佐藤さんは、その理由について解説しています。

謙遜バイアスを外す

他者に何か良いことをした時、例えば募金や寄付行為をした時に、

 ▼ ほんの少しですが…
 ▼ 大した金額じゃないのですが…
 ▼ 自慢できる金額ではないのですが…

みたいに謙遜する人っていますよね。

たしかに謙遜の意味があるわけですが、このセリフがクセになると運勢は良くなりません。

金額が少ないかどうか、そのおカネや行為が相手の役に立っているかどうかは、施しをしたあなたが判断することではないんです。たとえ100円であれ、better than nothing なんですから。

あなたは出来得る範囲で、施しをした、サポートをしたということを誇りに思えば良いんです。それを打ち消すかのような謙遜に意味はありません。

私は運勢を変えるために、コンビニで募金箱を見掛けたら10円で良いから募金しなさいということを話すのですが、これだって

 ■ たったの10円で人生が変わるわけないじゃん

と思ってやる人には、幸運はやって来ないんです。だって、募金という行為を、人生が変わるわけがないという言葉で打ち消してしまったんですから。

 ● この10円の積み重ねが私の人生を変えるのだ!ガッハッハッ!!

と言える人の方がサクッと、圧倒的に人生を好転させられるんです。

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