スタンドでの応援は「美談」ではなく「差別」
競技は違うが、サッカー界の重鎮・セルジオ越後さんは「補欠廃止論」を唱えている。「部活で3年間スタンドで応援」は「美談」ではなく「差別」だと厳しく批判しているのだ。
セルジオ越後さんは、Jリーグが誕生する前、少年サッカー教室で全国を回っていた。その時、セルジオさんの指導を受ける子どもたちの後ろで、ずっと立っているだけの子どもたちがいるのに気付いた。彼らは「補欠」だった。
セルジオさんが「どうして立っているの。一緒に練習しようよ」と声をかけ、その子どもたちを練習に参加させた。それを見て、補欠を立たせていたスポーツ少年団の指導者たちは真っ青になっていたという。
セルジオさんは、ブラジルのサッカーチームには「補欠」がないという。もちろん、レベルの差はあるが、ハイレベルな1軍だけでなく、2軍、3軍、4軍もチームを組んで、全員試合に出られるのだという。
現時点では技術や体力がなくても、試合に出ていれば、ある時急に成長することがある。試合に出なければ、その成長の可能性の芽を摘んでしまうことになるとセルジオさんは指摘するのだ。
実際、プロ野球にはWBC代表の甲斐拓哉選手など無名高出身、育成契約から一流選手になる「大器晩成型」の選手が少なくない。少子高齢化が進む中、野球界がまずやるべきことは「補欠廃止」ではないだろうか。
大阪桐蔭、仙台育英などの多数の部員がいる強豪校は、レギュラーのAチームだけでなく、Bチーム、Cチームなどを編成して大会に出場する。また、強豪校のB、Cチームなどと公立校の連合チームを編成してもいいのではないか。
競技は違うが、ラグビーで都立小石川と私学の開成が連合チームを組んだりする。野球でも私学の強豪校と公立が連合することは問題ないはずだ。
このように、スタンドで応援する部員はゼロにする。全員がベンチに入り、出場することで、野球人口減少を補うべきなのである。
さらにいえば、強豪校はベンチに入れない部員を、他の部に移籍させることも進めるべきだろう。少子高齢化が進めば、野球だけでなく他のスポーツも競技人口減少に悩むことになる。
野球部には、特に身体能力の高い子が集まっている。野球ではレギュラーになれなくても、他競技なら超一流になれる可能性がある。強豪校は、野球で技量が劣っている部員について、球拾いをさせる前に、他競技での適性を審査するべきである。
現在、野球のWBCの優勝、サッカー、ラグビーのW杯での活躍、五輪でのメダルラッシュと、日本のスポーツは過去最高の競技力を誇っている。だが、その繁栄は少子化が進むとともに終わってしまうだろう。その前に、手を打つべきである。
要するに「大量生産」「大量消費」で、多くの人材を切り捨てていた高度成長期のような時代ではないのだ。少子化の時代とは、一人の子どもも切り捨ててはいけないのである。すべての子どもの適性を見抜き、活躍の場を与えることが重要なのである。
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