8月24日で開戦から1年半となってしまうウクライナ戦争。停戦に向けた要請が世界的に高まっていますが、その実現はまったく見えないのが現状です。一体何がそれを阻んでいるのでしょうか。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』では元国連紛争調停官の島田さんが、自身の経験を交えつつ停戦協議がいかに困難なものであるかを解説。さらにウクライナ戦争を泥沼化させている原因を推測しています。
ウクライナ戦争はいつ終結するのか。困難極める「停戦」の本当の姿
2023年8月15日、日本は78回目の終戦記念日を迎えました。第2次世界大戦・太平洋戦争において生命を賭して国のために戦った御霊への祈りと、二度と戦争を起こすまいという誓いと覚悟を示す一日です。
しかし、「実は日本にとっての第2次世界大戦・太平洋戦争は1945年8月15日には終わっていなかった」と申し上げたら、皆さんはどうお感じになるでしょうか?
昭和天皇陛下が玉音放送にて“終戦”を国民に告げた日として、1945年8月15日は伝えられていますが、実際にこれは停戦命令でも降伏の命令でもなかったそうです。
アジア一帯に散らばっていた各部隊に停戦命令が出されたのは、8月16日以降に、数次に亘って行われたものであり、大本営の意識は「降伏が正式に連合軍に受け入れられるまでは、各部隊は臨戦態勢を取れ」というものであり、そのように現場の部隊には命令が伝えられていたという記録が残っています。
「新たな攻撃は慎むべきだが、自衛のためには攻撃やむなし」「中国(China)方面の戦線については、別途指示する」というように、大本営からは命令が出されており、8月終盤までは、実際に海外に展開されていた軍は武装解除も行っていなければ、停戦も行っていないというようにも解釈できます。
これを指して、ロシアの軍事戦略家は「日本軍は8月15日以降も降伏しておらず、武装解除も行っていなかったのだから、ソ連軍によるクリル4島(北方四島)への攻撃と占拠は、戦時状況に行われた正当な行為であった」と、ロシア政府が北方四島の領有・占拠を正当化する理由に挙げていると指摘しています。
「どの時点を以て、日本は降伏したのか」についてはいろいろと解釈が分かれるところのようですが、そこの検証は歴史家の先生方にお任せするとして、私は戦略上、降伏・停戦・終戦が成り立つまでにどのようなことが実際に行われるのかについてお話しします。
軍事戦略家の皆さんと、紛争調停官の仲間たちと話し合った際、「降伏・停戦・終戦を実行に移す時、実は戦闘相手に降伏・終戦・停戦の事実を認めさせ、合意するよりも、自軍の中の強硬派を納得させ、実際に武器を置かせることの方が、実ははるかに難しい」という結論に至りました。
私自身、紛争調停も行いますし、戦後体制の調整のための交渉も担いますが、その際にもめることが多い要素の一つが「DDR(Disarmament, Demobilization, and Reintegration 武装解除・動員解除・社会復帰)についての合意と合意内容の具体的な進め方について」です。
DDRは国家の復興や平和構築促進を目的とされた国連主体の国際平和活動で、 紛争地で行われ、特に紛争後の復興を目的とされており、平和構築に不可欠なプロセスともされていますが、これまでcombatに携わってきたものにとって、自らが所有する武器は自らの生命を守るものとも捉えられているため、なかなかそれを手放すことは出来ず、動員を解除することは、実質的に最終的な敗北を受け入れ、場合によって従属さえ受け入れることを意味するため、なかなか受け入れがたいものとなります。
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