斎藤道三に国を奪われた土岐頼芸は本当に“愚鈍な殿様”だったのか?

 

道三が仕えた頼芸(よりのり)も兄頼武と長年に亘って家督争いを続けました。道三は頼芸を守護に就けるべく、謀略を駆使して邪魔者を次々と排除してゆきます。道三の働きで守護に成った頼芸でしたが、用済みとなって追放されてしまい、美濃一国を奪われます。

まんまと美濃を奪われた頼芸は愚鈍な殿さまと評価されてきましたが、様々な史料に当たりますと文武に長けた優れた領主であったのでは、と思えてきます。

先日、岐阜県山県市にある臨済宗妙心寺派の南泉寺(なんせんじ)を訪れました。頼芸の父政房が土岐氏の菩提寺として建立したお寺です。南泉寺には頼芸が描いたと伝わる鷹の絵があり、拝見できました。

眼光の鋭さに頼芸の意志が感じられました。また、境内には頼芸の兄頼武の息子頼純(よりずみ)の墓があります。頼純は道三の娘、帰蝶を妻としましたが、数え二十四歳の若さで急死します。道三に謀殺されたと伝わっています。頼純死後、帰蝶が信長に嫁いだのは有名ですね。

悪謀の限りを尽くし美濃を手に入れた道三は息子の義龍に討たれてしまいました。道三死後、義龍は美濃の守護となって、「一色」姓を名乗ります。一色氏は室町幕府において土岐氏よりも上位の家柄でした。つまり、義龍は土岐氏を凌ごうとしたのです。

道三、信長以前の美濃、戦国動乱の渦中にあった美濃に君臨できなかった美濃源氏の名門土岐氏及び頼芸ですが、研究が進み、再評価のスポットが当たっています。

愚鈍な殿様のイメージを払拭すべく、筆者も及ばずながら頼芸を主人公とした小説を執筆する予定です。

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