辛い時は、死なせてほしいと祈り、その次は歯科医師になるようにしてほしいと祈り、職業を持たせてほしいと祈った。今は何の願いもない。一度きりの人生をただ熱心に生きるだけだ。
最初は違った。後悔ばかりだった。あの日あのバスに乗らなかったら、プールに行っていなかったら…。後悔すると人生が過去に進む。今を生きるのではなく、過去に閉じ込められる。希望がなく、自らあまりにも悲惨で、可哀想で生きていけない。それで事故を悪夢ではなく良い思い出と考えたら、私の人生に感謝するようになった。障害者として不便で苦しい状況を体験する時も不満の代わりにどう変えればもう少し楽になるか、そう思う。
他人の視線が怖くてしきりに隠れる障害者たちに、無条件に社会に出て私のようにぶつかってみてと言ってあげたい。世の中が良くなったというが、まだ差別が多く無視が日常だ。そうなればなるほど、障害者という理由で恩恵を望まず、他人より何でも10倍も努力しなければならない。熱心にすれば周辺で「一緒にやってみよう」と心を開いて助けてくれる。 一度だけの人生、他人が簡単に吐き出す「だめだ」という言葉にだまされず、自分がしたいことをしながら生きなければならない。
定年後の人生? 定年どころか、一日先も考えない。いつでも壁にぶつかったら、またバカになって頑張れば結局道が開けるということを知っているからだ。死ぬほどの努力が必要だった時は心に鋼鉄を敷いて強い心で生きたが、今は暖かい人になろうと努力している。昨日よりもう少し暖かい人、だから周りがもっと暖かくなるとしたら、それが正しい人生のようだ。それが生きている理由だと思う。その時代の私のように希望なしに人生をあきらめようとする人は本当に多い。そんな人たちに見せてあげたい。指さえ動かせない人が歯科医師かつソウル大学の教授もするんだということを。皆さんもそういうことができるということを。
事故で人生のどん底よりひどい泥沼に落ちた時、両親は「状態がどうで、これからはどうで、どう生きなければならない。」 こんなことは全く言わなかった。泣いてもいない。
今も同じだ。事故前と変わらず、障害について何も言わず、何でも息子の決定を黙々と尊重してくれる。7歳になった娘を産んでからやっと分かった。その時、両親の胸が数百回も裂けて泣き叫んだのだろう。大きくなる子供に見せたい。お父さんはこんなに一生懸命生きているんだよ、もっと誇らしいお父さんになろうと努力しているんだよ、と。(中央日報参照)
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