個性とは「潰しても出てくるもの」だ。現役教師が問う、真の意味で「個性を生かす教育」とは何か?

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個性というのは、他人が生かされたり殺されたりするものなのでしょうか。果たして、個性を生かす教育とはどういったものか、メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者で現役小学校教師の松尾英明さんは、その意味について持論を展開しています。

個性は生きるし殺せない

「個性を生かす教育」について。次の有名な台詞から。

「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」

人気漫画『鬼滅の刃』第1話における「名言」として有名な台詞である。人間としての尊厳の在り方を叫ぶ言葉であり、まさにこの漫画の柱的なテーマといえる。

戦時中は、この権利を他者に握られている状態といえる。自分で生きるか死ぬかを選択できない状態。どの道を選んでも死ぬ可能性が高い状態。自らの意思に関わらず、生命を他者に支配されている恐ろしい状態である。

そんな状況下であっても、精神における自由の権利までは侵害できない。ここだけは、強い意志さえあれば選択できる部分だといえる。オリンピック選手が「行きたい場所」と口にして話題になっているが、知覧特攻平和会館に行けばこれがわかる。表面上の言動は別として、どう想うか、誰を想うかなどは、どこまでも個人の精神の自由である。

本題に戻るが、「個性」とは、人に生かされたり殺されたりするものなのだろうか。「個性を生かす教育が大切」という。確かに、正反対の「個性を殺す教育」がいいとは思えない。相手の反応を無視した一律で型通りの授業を続けられてはたまらない。しかしながら、繰り返すが個性とは他者が生かしたり殺したりできるものなのだろうか。

「長所を生かす」

「短所よりも長所に着目する」

「短所こそ長所に転じる」

というような意味ならわかる。得意を生かすに近い。

「得意の相互提供」は、本でもこのメルマガ上でも常々推奨していることである。

しかし実際は、この「個性を生かす教育」の意味が相当に誤認されているように思う。まるで、一律に何かを教えたり求めたりすること自体が、悪いことであるかのような認識である。子どもに対し、苦手なことをやらせたり、やりたくないことでも挑戦させるのは悪というような認識もある。

そういう世論を真に受けると、教えること自体に及び腰になってしまうが、これがいけない。そんな姿勢では、本来教えるべきことを教えられる道理が立たない。誤りや怠惰に対して何も教えなくていいとすれば、教育という概念自体が存在し得ない。

「個別最適な教育」への解釈もそうだが、一律に何かを求めることを全否定するような誤解も見受けられる。全てが子どもの自由選択によるというような学びの場が世の中にあるのはいいことだと思うが、少なくとも公立学校が求められているのはそういう場ではない。

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