よく、アメリカなどと比較して、日本人の「起業家精神」の低さが問題視される。
果たして、それは本当に問題なのだろうか。極端な話、全員が起業家になって起業してしまった場合、各社の社員の確保はどうすればいいのだろうか。
言わずもがな、リーダーシップを発揮する一人に対して、多数のフォロワーシップを発揮する人の存在が必須である。そして、リーダーシップの発揮者=主体性発揮者という訳ではない。例えば、今流行の、フォロワーに進んでなる「推し活」は、主体性をフル発揮しているといえる。一般的な日本人の気質というのは、文化的にもこちらに適合しているように思える。
根本を間違えないことである。授業は、教師主体でいいのである。教えるのは、教師主体でいいのである。その時、学びの主体が子どもであるという意識を決して忘れないことである。
そこが抜けると、昭和~平成に逆戻りの、残念な結果となる。「〇〇大会の優勝」や「○○コンクール金賞」、「運動会の勝利」等が、教師のものになってはいけないのである。熱血指導が通るのは、相手も本当にそれを望む時だけである。(よって「クラス全員で○○を目指す」はほとんどの場合、厳しい。)
学びの結果責任を受け止めるのは、子どもである。「宿題をやらない」からといって、キーキー言う必要はない。その結果の不利益を被る(あるいは利益を享受する)のは子どもであって、決して教師ではないからである。教師が不利益(あるいは利益)を被るのであれば、それ自体が誤っている。教師は、その宿題が本当に適切であったかの検討の方をすればよい。
教えることを恐れない。責任をもって教える。リーダーに必要な決断力、判断力、行動力を、教師という立場の人間は発揮する必要がある。
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