テレビ最大の欠点を招いた「受像機開発の先行」という構造
テレビ技術の発展において最も特徴的だったのは、放送コンテンツよりも受像機開発が先行した点である。この構造は、テレビ局にとって最大の欠点ともなった。
とくに1923年に高柳健次郎が「無線遠視法」を提唱し、1926年にはブラウン管を用いた「イ」の文字の送受信に成功したことからも分かるように、日本のテレビ開発も当初から受信技術の確立を最優先していた(*1)。
これはラジオの発展パターンとは対照的である。ラジオの場合、フェッセンデンによる1900年の音声伝送実験から1920年代の商業放送開始まで、送信技術と受信機開発が並行して進んでいた(*2)。
テレビ技術の先行開発が招いた根本的な課題は、コンテンツ価値の創造が常に後追いになったことである。1953年の日本初のテレビ放送開始時には、すでに受像機の量産体制が整っていたが、放送コンテンツはラジオ番組の延長線上にとどまっていた。この構造的な歪みが、広告収入依存型のビジネスモデルを固定化させる要因となった。
さらに、日本では1959年に導入された県域免許制によって、地域独占の市場構造が生まれた。これにより競争が阻害され、アメリカの100チャンネル以上の無料放送環境とは対照的な市場の閉塞性(へいそくせい)を生み出した。
▽テレビの歴史
- 1873年:イギリスでテレビジョンの開発が始まる。明暗を電気の強弱に変えて遠方に伝える装置が考案
- 1884年:ドイツのパウル・ニプコウが「ニプコー円板」を発明し、直列式の機械式走査を実現
- 1897年:ドイツのフェルディナント・ブラウンが陰極線管(ブラウン管)を発明
- 1907年:ロシアのボリス・ロージングがブラウン管を用いたテレビ受像機を考案し特許出願
- 1911年:ロージングがブラウン管を用いたテレビの送受信実験を公開
- 1923年:日本の高柳健次郎が電子式走査方式の研究を開始
- 1925年:スコットランドのジョン・ロジー・ベアードが機械式テレビジョンを開発し、人間の顔の送受信に成功
- 1926年:高柳健次郎がブラウン管による電送・受像に成功し、「イ」の字を表示
- 1928年:アメリカでテレビ実験放送が開始
- 1929年:イギリスのBBCがテレビ実験放送を開始
- 1936年:ドイツでベルリンオリンピックのテレビ中継が行われる
- 1953年:日本でNHKが初のテレビ放送を開始
- 1955年:日本で民放局が登場し、ラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)が放送を開始
- 1960年:日本でカラー放送が開始
- 1984年:日本で高品位テレビ(MUSE)が開発
- 1990年代:ハイビジョン対応の受像機が商品化され、放送のデジタル化が進展
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