実際に住所を訪ねてみたら、そこは…
「旧宮家 賀陽 別邸」と記された住所は、新宿区内の駅近くにある築40年の5階建て賃貸ビルだった。 レンガ調の外観で、印刷会社や美容サロンなどが入居している。
賀陽健氏の部屋は確認できないが、最上階には「廣池」の表札がある。 ビルオーナーの住居だろう。 「廣池千九郎 東京邸跡」ってこのことか?
調べてみると、廣池千九郎は、明治時代、独自の道徳教育を組み立てた人物で、のちに学校法人「廣池学園」のもとになる私塾を開学したらしい。
戦前は、賀陽宮邸に出入りする家庭教師でもあった。
特に、賀陽宮邦憲王の長男・恒憲王(1900~1978)は、千九郎を深く信頼しており、皇族時代に一家を連れて千九郎の私塾を訪れていたほか、戦後に皇籍離脱してからも、千九郎と深い親交を結んだようだ。
で、それが現代の賀陽健氏にどんな関係があるのかというと……特にない。
だが、「廣池千九郎 東京邸跡 元皇族 旧宮家 賀陽 別邸」と入った名刺を差し出して、自己アピールしてくるド派手な男を見ると、「おお! すごい方がいらっしゃった!」と思う議員もいるのだろう。 虚しさが途方もない。
ちなみに、廣池学園から派生して設立されたのが、麗澤大学だ。
もしかして、「神武天皇のY染色体」を提唱した「麗澤大学教授」の八木秀次がやたらと自称保守界隈で重んじられている背景も、ここにあるのか……?