無駄な会議が大好きなのは「その会議が実は儀式だから」
次によく聞くのが「ムダな会議」という問題です。これには2種類あって、まずよく聞くのが「会議のための会議」というやつです。会議のための会議というと、ダジャレみたいに聞こえますが、実際にJTCでは、本当によくあるわけです。
例えば「年次経営計画発表大会」なんていうのが計画されているとします。普通なら期日と会場を決めて、人数に応じてセッティングを決めればいいだけですが、どっこい「経営計画発表」などということになると、まず事務局(総務とか経営計画室とかいう部門が多いです)が「一体どのようなフォーマットで、どこまで参加させるのか」という基本計画だけでなく、弁当がどうだとか、お茶はどうするというロジに至るまで、延々と会議をして検討を重ねることになります。
一方で、参加する方の各部門でも「来月の経営計画発表大会では、どのように発表するか」という問題について、部長以下で集まって延々と「あーでもない、こーでもない」と会議をするわけです。
この「会議のための会議」というのは、本当にムダな感じがしますし、そんなことに時間を取られるくらいなら「仕事をさせろ」という心の声が現場に充満することになるわけです。
では、どうしてこのような「会議のための会議」が生まれるのかというと、理由は簡単です。議論が目的ではなく儀式が目的だからです。
企業業績に直結する討議ではなく、その会議そのものが儀式であり、主催者の自己満足プラス権力誇示のために行われるのです。だからこそ、主催者は細部にこだわり、各部門は発表内容に頭を悩ませるのです。
非常に簡単なことです。「会議のための会議」があればあるほど、その会議は儀式性が強く、生産性は度外視されるということです。(次ページに続く)