「地方名望家」とは一体いかなる人々を指すのか
そんなわけで、高市政権の方向性は実質的な部分では、安倍=菅=岸田=石破の路線と大きくは変化しないと思われます。と言いますか、よくも悪くも官僚組織の上げてくる、そして当面は実施可能であるゾーン内の政策が繰り出されて来るのだと思います。財務省が警戒しているなどという噂は、あくまで噂に過ぎないと思います。
そうは言っても、総理が交代し、少なくとも多少はリベラル色のあった石破政権から、かなり右派色を出していた高市政権へという変化は、国の持っているイデオロギー的な気分を変えるということはあると思います。
その場合に鍵となるのが「地方名望家」との関係です。この「地方名望家」というキーワードは、高市氏という政治家の足跡も、また権力の源泉にも深く関わってくるものであり、これからも注意して見ていく必要があるからです。
比較的有名なエピソードですが、高市氏は松下政経塾からワシントンDCに送られて、当時の民主党下院議員の事務所で事実上のインターンをしていたわけです(肩書については諸説ありますが、まとまった期間、確かに仕事をしていたのは間違いないようです)。帰国後は、若手の女性コメンテーターとして、例えば田原さんの「朝生」などで注目されていました。
その頃か、あるいは議員になってすぐだったか、いずれにしてもアメリカ体験を売り物にしていた時期の高市氏は、「日本では選挙に落選すると候補が支持者に対して土下座するが、自分は絶対にしたくない」というようなことを言っていたのを覚えています。当時の自分としても、これはかなり共感できる内容でした。
ですが、その後、二大政党制が部分的に動く中で、高市氏は実際に落選を経験します。そして、落選にあたっては、前言を翻して実際に支持者に対して土下座をしたようです。このエピソードは、彼女の中で何かが壊れ、何かに屈服した事件、そのような印象で見ていました。また、人間はそのような経験を通じて「ダークサイド」に行くことがあるのだ、そんな印象も持ったのを覚えています。
それはそれで一種の説明にはなるのだと思います。ですが、今は少し違う見方をしています。それは、高市氏というのは日本の近代に大きな存在を占める「地方名望家」の権力、これに屈しつつも、あるいは利用してきた、一種の霊媒師と言いますか、巫女のような存在、そのように見ることも可能だということです。
この「地方名望家」というのは、大正時代の二大政党制において、政友会の支持母体として日本の歴史に登場したグループです。それは、土地の大規模所有制を基盤としつつ、地方に政治経済面での大きな基盤を持った家父長制の組織を言います。その多くは、戦前においては納税額によって議員になったり、あるいは当時から現在でもそうですが、地方議会を支配したり首長になっていたりします。
家業としては製造業であったり、運輸、サービスなどを独占的に経営し、スケールは小さいながらその地方における政財界の要となっている存在です。彼らの原点は恐らく、第一次大戦の戦時景気であり、同時にその直後の震災と戦後の過剰在庫がもたらした不況であったと思います。こうした浮き沈みの経験を通じて、彼ら「地方名望家」というのには、4つの行動原理が生まれました。
この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ









