なぜ香港高層ビル火災は防げなかったのか?日本では考えられない中国の危うい“安全感覚”

 

今回の火事

今回の火事に関して言えば、そのような「中国人的な感覚」の集合体ではないかと思います。

日本のテレビ番組では、「日本では同じような事故にはならない」というようなことを、防災の専門家や元消防署勤務の人々が口をそろえて言います。

私から見れば、竹の足場や外の防護布が防炎性ではないというようなことから、隣の建物が火災の時に延焼するというようなことは、日本では確かに考えにくいのかもしれませんが、絶対にないとは言えないでしょう。

当然に火災は過失などで起きるということですし、またそのような災害はある意味で道程を超えることがあるので、そのことは考えておかなければならないでしょう。

それよりも、今回の火災では作業員や工事関係者が逮捕されており、また、一方で火災報知機が正常に作動しなかったなどの報道がされております。

私から見れば、作業員の上記に挙げたような(30年前の話ですが)のモラルや、表面だけの見栄え従事で中身をあまり行わないということ、またはそこから出るコスト意識が大きな問題ではないかということになります。

実際、日本でも火事は存在しますが、しかし、例えば火災報知器が問題があることが放置されていたり、作業員が喫煙所以外でタバコを吸ったり、または、その吸殻を燃えやすい足場に捨てたりというようなことは存在しないのではないかという気がします。

今回のニュースを見ていれば、「人災」の部分が非常に多く、それが被害を大きくしたという部分があるのではないかと思います。

また見栄えの良さということを考えれば、例えば、これも大連で実際にあった話ですが、燃えやすいまたは燃えると有毒ガスを出す接着剤を壁紙に使っていたり、または、部屋の数を多くするために避難路を小さくするなどということもありました。

今回も「避難ができない」とか、「煙が溜まって前が見えない」などということがあったようです。その様に考えれば、中国の人々の感覚が被害を大きくしたということが言えます。

ただし、逆に言えば「今まで(少なくとも私が認識してから30年)このような大きな事故がなかった」ということが考えられます。

そういえば、コロナ禍の時に、ウイグル自治区で外出禁止の為に扉を固定してしまい、そのことで逃げることができずに火災の犠牲になったという事件がありました。実際に、そのことは大きな事件になり、「白紙デモ」が大きくできるようになり、また、「ゼロコロナ政策を終わらせる」ということにつながったことがあります。

ある意味で「社会主義」というのは、「見栄え」等を大きく使ってしまうことから、個人の権利が制限される部分があるということもありえます。

また事件があっても、新幹線の脱線事故のように隠してしまうということもあったのではないかという気がするのです。

その様に考えれば、今回の火災が一つの何か節目になるのかもしれません。

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