「天安門後」の日本の対応で国際的孤立を免れた中国
中国は、西側諸国との国交回復の後、急激な経済成長をはじめますが、1989年にいきなり大きな障害にぶつかってしまいます。天安門事件が起きるのです。
天安門事件とは、民主化を要求した学生たちが北京の天安門広場を占拠し、それを中国政府が軍を用いて強制排除したというものです。事件の詳細は、現在も公表されていませんが、西側の報道機関の分析では数千人が犠牲になったということです。
中国は西側諸国との国交回復以来、大量の留学生を西側諸国に送っていました。日本も、このころから相当の人数の中国人留学生を受け入れていました。欧米や日本の自由に空気を学んできた留学生たちは、どうしても母国を不自由に思ってしまいます。
また西側諸国と交易をするうちに、嫌でも西側諸国の情報は入ってくるようになり、多くの人々が「中国が非民主的な国」であることを知ってしまったのです。その不満が形になって表れたのが、天安門事件でした。
中国当局は、最初は静観していましたが、学生運動が盛り上がるのを見て、急激な民主化には応じられないとして、武力鎮圧に踏み切ったのです。この天安門事件を受けて、西側諸国は一斉に中国政府に抗議をし、制裁措置を講じました。
しかし、このとき日本の中国に対する抗議、制裁は最小限のものにとどまったのです。
日本は中国に対し「これ以上、国際非難を浴びるような人権侵害行為をしないこと」「中国の改革開放政策に協力する方針には変わりはない」というメッセージを送り、経済支援規模を若干、縮小しただけで済ませたのです。
これは、中国が国際的に孤立しまた共産主義陣営に戻らないように、という配慮もありましたが、日本側の事情もありました。
すでに当時、多くの日本企業が中国に進出し、多額の投資も行っていました。中国の対外債務の半分以上は日本に対するものだったのです。ここで、中国の経済成長が止まったり、中国との交流が断絶すれば、日本側のダメージも大きかったのです。
この日本の対応により、中国は、国際的に孤立することを免れたのです。
この事件では、中国がまだ「基本的人権が確立されていない」「民主化されていない国」だということが露呈しました。にもかかわらず、この事件で中国はそれほど国際的なダメージを受けませんでした。当時最大のオーナーだった日本が、厳しい態度を見せなかったからです。
このことが中国に「人権なんか守らなくても大丈夫だ」という「誤った成功体験」をもたらしたともいえます。
もしこのときに日本が中国に対して毅然とした態度をとっていれば、中国は今のように横暴にはなっていないかもしれません。
次回は、その後の中国と日本の関係、中国が横暴になっていく過程などについてお話したいと思います。
(本記事はメルマガ『大村大次郎の本音で役に立つ税金情報』2025年12月1日号の一部抜粋です。「“老後の離婚”の年金」「“老後の結婚”と年金」」を含む全文はご登録の上ご覧ください。初月無料です)
この記事の著者・大村大次郎さんを応援しよう
※ワンクリックで簡単にお試し登録できます↑
¥330/月(税込)初月無料 毎月 1日・16日
月の途中でも全ての号が届きます
【ご案内】元国税調査官の大村大次郎氏が、事業者向けの専門記事をプラスした「特別版」の有料メルマガを新創刊しました。さらに高度な情報をお楽しみください。
【関連】財務省の秘密警察部門、国税庁が「国会議員の不倫調査」を得意とするワケ。全国民監視の強大権力、分割急務(作家・元国税調査官 大村大次郎)
image by: Jimmy Budiman Pictures / Shutterstock.com









