出発点は推古天皇。女帝たちが築いた「国家形成」の120年
世界遺産に登録された飛鳥・藤原の歴史について詳しく見てみよう。
この宮都が栄えたのは、有力豪族が勢力を競い合う時代から、天皇を中心とする国家へと大きく姿を変えていった約120年間だ。
出発点は、592年に即位し、大陸の制度を取り入れるべく改革を開始した女帝・推古天皇だった。
■「飛鳥・藤原の宮都」時代に即位した天皇
推古天皇(592-628)★女帝
舒明天皇(629-641)
皇極天皇(642-645)★女帝
孝徳天皇(645-654)
斉明天皇(655-661)★女帝(皇極天皇の重祚)
天智天皇(661-672)
天武天皇(673-686)
持統天皇(690-697)★女帝
文武天皇(697-707)※若年のため持統が太上天皇として実権掌握
元明天皇(707-715)★女帝(710年に平城京へ遷都)
見ての通り、世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」が栄えた約120年には、4人の女帝(5度の在位)が登場する。
考古学・古代史の研究によって、飛鳥~奈良時代よりさらに前、弥生時代から古墳時代前期には、日本列島の各地で男女を問わず首長が立ち、女性首長も珍しい存在ではなかったことがわかっている。
古代の王は、軍事力を率いる統治者でもあり、権力を掌握し、実力行使する能力がなければ滅ぼされてしまう。王は、血統主義などではなく、各地の首長たちによって「共立」されており、男女関係なく、統治能力にすぐれた40歳前後以降の「長老」から「えらばれる」ものだったことも判明している。
この流れは、飛鳥時代に入っても残った。だからこそ能力ある女帝が次々と誕生していったのだ。
高市の言う「東アジアの古代国家の形成期」とは、飛鳥・藤原の宮都が築かれ、発展した時代であるとともに、女帝が国家形成の中心を担っていた時代のことを示すのである。
しかも、当時の東アジアは、巨大帝国がしのぎを削る緊迫した情勢だった。日本も激動の時代に対応するため、強い国家へと変革する必要に迫られ、歴代の天皇は、大陸から技術、文化、律令制度などの仕組み、統治手段などを導入しながら、中央集権体制の整備という大事業に腕をふるった。
「中央集権体制が誕生・成立した過程」とは、まさに国家の土台を築いていく女帝たちの功績をたどることでもあるのだ。
つまり、飛鳥・藤原の宮都は、女帝たちが国家づくりを進めた舞台そのものなのである。









