「中国のコピペ」ではない。遺産が物語る「日本独自の国家」の誕生
ユネスコへの推薦は日本政府が行ったそうだが、一体どのような遺産と認識して推薦したのだろうか。世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会がまとめた文章を読むと、4つのポイントが浮かび上がった。
【1】日本列島で初めて中央集権国家が成立した
「飛鳥宮」「藤原京」など遺跡そのものが残っているだけではなく、それが「有力豪族の連合体制から、天皇を頂点とする中央集権国家が成立した過程そのもの」を象徴していること。
【2】東アジア文明との交流による所産
国家形成が、中国・朝鮮半島諸国との政治的・文化的交流によって進められたこと。遣隋使、遣唐使、百済からの渡来人、仏教、漢字、律令など多くの所産がある。
【3】外来文化と日本固有文化との融合
外来文化の導入と、日本に固有の伝統との融合を通じて、独自の開花を遂げたこと。外来文化をそのまま模倣して「中国化」したのではない。
【4】国家形成の過程を遺跡でたどることができる
飛鳥から藤原京へと発展していく国家形成の過程を、宮殿、官衙(官庁)、寺院、墳墓などの遺跡によって具体的にたどることができ、それが8世紀の平城宮(奈良)、9世紀以降の平安宮(京都)へと続く日本の宮都造営の出発点となっていること。
このなかで、特に私が注目したいのは、【3】外来文化と日本固有文化との融合を主張している点だ。
この時代の日本は、隋や唐という巨大帝国から律令制、都城制、官僚制度、仏教、漢字文化など多くを取り入れた。だが、そうして形成された日本は、決して「古代中国のコピペ」ではないのである。
前回までの記事(第404回「女性が国家を支える日本に、宦官はいらなかった」、第405回「蓄妾制・典妻・女禍思想──男系血統という思想の正体」)に詳しく書いたが、官僚組織や律令制についてはかなり模倣しているにもかかわらず、日本は父系血統絶対主義をとらず、中国のように妊娠を管理するための宦官や後宮の制度は採用しなかった。
ましてや、女性を「男子を生むための奴隷」として家畜のように扱う風習など根付かなかった。
また、男女を区別し、同席させない儒教の秩序について学びながらも、日本の宮廷では男女の官僚が「共労」し、女官が男官を指示する場面もある組織で国家運営を担っていた。
なにより、女帝が国家の最高権力者として実権を握り、その子もまた親王として皇位継承資格を持つ仕組みが築かれていた。
当時最先端の技術や文化、仕組みを取り入れながらも、それを女性が実権を握る日本の伝統的なあり方に融合させ、独自の国家を作り上げた──このことこそ、日本が世界へ説明した「外来文化と日本固有文化との融合」の実像ではないのだろうか。
「飛鳥・藤原の宮都」が次世代へ引き継ぐものとは、いったい何かをよく考えてほしい。それは、宮殿跡や古墳などを形作る石や土そのものではなく、その場所を舞台として生きた先人たちによって築かれた歴史である。
高市早苗は、世界へ向かって「女帝が国家形成を担った歴史」と「中国をそのまま模倣せず、日本固有の文化と融合して独自の国家を築いた歴史」をこの遺産の価値として誇る。
ところが、国内では「女性は天皇になれない」「男系男子こそ伝統」と主張し、儒教の男尊女卑を受け入れる自分をアピールする。自分で世界へ誇ったはずの歴史を否定し、無知のまま虚偽の歴史観で皇室を塗り固めようとしているのだ。
高市が賞賛しているのは、「世界遺産」というブランド、言葉の響きだけだ。その遺産が語る重要な歴史そのものには無知であり、耳を貸そうとすらしていない。欲しいのは都合の良い体裁だけ、史実などどうでもいいという軽薄さなのだ。
一国の首相として、こんな不誠実な態度が許されるだろうか?
国民はこの欺瞞的・詐欺的態度を見抜き、糾弾しなければならない。
世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」は、「古代日本では、女性もまた国家を率い、国家を築いた」という歴史を、今もその場所で証言し続けている。
(メルマガ『小林よしのりライジング』2026年7月28日号より一部抜粋・敬称略。続きはメルマガ登録の上お楽しみください)

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