(3)自虐や反日、未来志向という表現が侮りを引き寄せる
例えば第二次大戦における枢軸国としての振る舞いに関して否定的な意見のことを「自虐」だという言い方、「反日」だという言い方は非常に危険であると思います。戦後の官民挙げての努力で国体が浄化された以上、その平和国家日本の観点からは、枢軸国としての振る舞いに関しては否定的であるのが「現在の国のかたち」に適っているのです。
これはまさに戦後の「国体=国のかたち」であって、そうした言動のことを「自虐」だとか「反日」だというのは、正に「枢軸国の国体から変化していない」という誤解、そしてそれ故の「侮り」を受ける「スキ」となるからです。
この点に関連して、歴史認識の問題に関して「未来志向」という言葉があります。これは、日本の漠然とした感覚、つまり「いつまでも過去の謝罪を強いられては、相手への悪感情ばかりが充満するので、過去の歴史問題ではなく、未来の協調関係に関して語りたい」というホンネをそのまま口にしたものだと思います。
ですが、これを言うことと同時に「過去を謝罪することへの疲れ」から「枢軸国の名誉を回復すれば、謝罪者をイヤイヤ演ずることから逃れられる」というもう一つのホンネが合わさってしまうと、これは危険です。
もうこれは「謝罪や恭順から逃げたい」という消極姿勢、加えて「謝罪強要には応じない」という拒否の姿勢になってしまうわけです。そんな構図になれば、関係悪化の回路は更に高速でグルグル回ることになるわけで、もうこの「未来志向」という言い方は事態を改善する効果はなくなっているように思うのです。
その意味としては「国体を連続的に継承したことから来る象徴的な恭順国家論」という「かたち」の確認、と「明らかに浄化された国体から見て枢軸国の時代は否定の対象となる」という価値観の確認という意味です。間違っても、現在の日本が悪しき存在であり、したがって謝罪をするべき存在という意味ではないのです。
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