かつて「ものまね王座決定戦」で一躍脚光を呼び、清水アキラさん、ビジーフォー、栗田貫一さんとともに、ものまね四天王としてゆるぎない地位を確立したコロッケさん。栄光の道のりは、決して平坦ではなかったようです。無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、コロッケさんが体験した少年時代の「右耳が聞こえなくなった」という逆境と、それを救った母親からの「魔法の言葉」を紹介しています。
ものまねタレントと「あおいくま」
ものまねタレントとして確固たる地位を築いてこられた滝川広志(コロッケ)さん。幼少期から大切にしてこられたという「あおいくま」のお話はとても感動的です。
僕を変えてくれた母の生き方
いつの頃からか、我が家の柱には母の字が書かれた、黄ばんだ紙が貼られていました。
あせるな
おこるな
いばるな
くさるな
まけるな
子供の僕には意味が分からず、「あおいくま」と読んでしまいましたが、母は笑いながら「広志くん、この言葉だけは覚えておきなさい。これを覚えておけば大丈夫だから」と教えてくれました。それからというもの、僕は事あるごとにこの「あおいくま」を思い出し、心の支えとするようになりました。
僕が中耳炎になったのは小2の時です。しかし、母にそのことを言い出せませんでした。お金がかかるから我慢しようと思ったんです。姉と僕の間には母に気を遣わせてはいけないという暗黙のルールがありました。お金が必要なら自分でアルバイトをして稼ぐ。僕はそれを当然のことと考えていたからです。実際、中学、高校と新聞配達をしながらお小遣いを貯めていました。
耳の痛みはその後も時々起こり、耳垂れが出ることもありましたが、我慢できないほどではなかったので、そのままにしておきました。
ところが、中2の時、突然、耳鳴りがして右耳に激痛が走ったんです。僕は耐えられずに、その場に倒れ込んでしまいました。病名は真珠腫性中耳炎。即入院です。しかし、そんな大変な時でも僕は「お母さんに悪い」と、そのことばかりを考えていました。
母は「大丈夫ね?」と声を掛けてくれましたが、その表情はとても辛そうでした。母は痛みを打ち明けられずにいた僕の気持ちを分かってくれていたでしょうし、そうさせてしまった自分を責めていたに違いありません。息子の右耳が聞こえないと宣告された時、一体どんな気持ちだっただろうかと思うと、いまでも胸が痛みます。
僕はと言えば、落ち込んだのは本当に一瞬でした。「左耳が聞こえるからいいや」とすぐに気持ちを切り替えていました。両耳が聞こえることを期待するのではなく、片耳になってどうすべきかを考えていました。自分から先回りして相手の右側に座る、それもふざけたりしながら相手に気づかれないように自然な形で振る舞う、という技術をいつの間にか身につけていったんです。この時の呼吸は、その後、お笑いの世界に入ってからも大変役に立ちました。
僕がすぐに気持ちを切り替えられたのは、母譲りの“いい加減”な性格と「あおいくま」のおかげなのかもしれません。
image by: コロッケ公式プロフィール(FINE-STAGE)