たとえ勝負に敗れようとも、「自分が弱かった」と次の勝利に向け精進を続けるアスリートの姿は、輝いて見えますよね。私たちも、何かが欠けていると気付いたなら、その要因と真剣に向き合っていきたいもの。今回の無料メルマガ『東北NO1メンタルトレーナーが送る『自信をはぐくむ、幸せな自分のなり方』』では著者で心理カウンセラーの吉田こうじさんが、自分に欠けているものへの向き合い方について、専門家目線で解説しています。
自分に欠けているものに気づいたらどうするかで、道が分かれます
「あれさえあれば私の人生はうまくいく」
「あれができれば幸せになれる」
こんなふうに「自分に欠けている何か」が全ての不幸の原因だと思って、努力することなく諦めていると、残念ながら不幸から抜け出せない人生になります。なぜなら……「幸せ」とは、自分の内側から湧き出てくるものだからです。
「欠けているもの」に気づいたとき、それが本当に手に入れる価値があるなら、手に入れるために努力をする。これであれば、努力している自分を心の内側から誇れるし、少しずつでも手に入れることに近づいている実感も持てるので、幸せを感じることができるでしょう。
ですが、欠けているものに気づいたのに、「欠けているのは私にはどうにもできない」と諦めてしまうと、劣等感やら無価値観ばかり強化されてしまって幸せとは真逆の方向に行ってしまうんです。これ、伝わりますか?
例えば、パートナーができない人はそのできない理由を、
- 自分の容姿のせい
- 自分の年齢のせい
- 自分の学歴のせい
- 自分の家庭環境のせい
- 自分の年収のせい
などなど、何と比較してそう思っているのかはさておき、他責にした何かさえ解決すれば自分にもパートナーが見つかるはずと思い込んでいることって案外多かったりするのですが、そうやって他責にしちゃって、自らが理想のパートナーに見合うように成長しようと努力しないうちは残念ながらパートナーは見つからないんです。
もともと完璧な人なんていません。いたら、それは人ではなく「カミさま」です。なのに、欠けてるところばかりをことさら拡大してはそのせいで自分は不幸だと悩んでいても何も変わりません。
もちろん、最低限の生活が営めるくらいのお金や環境が欠けているなら話は別ですが、そうじゃないにも関わらず、何かと誰か加害者を仕立て上げてはその相手を怒ることで自分が努力して問題に立ち向かおうとしないことの正当性を主張する……。これって、非常によろしくないわけで……。なので、
「せめてこれさえあれば……」
「せめてもう少しこうなっていたら……」
こうやって無い物ねだりをしながら欠けている部分ばかりにフォーカスして劣等感やら無価値観やらを強化するのではなく、「欠けている」という現実を客観的に見据えながら、
「それって、本当に手に入れる必要があるの?」
「どうやって手に入れるの?」
を現実的に考えて行くと現状を打開していくのに役立つと思いますよ~。
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