アフガンへの軍隊派遣で真逆の立場だった中村哲医師の死に寄せて

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12月4日、武装勢力による銃撃に遭い、アフガニスタンの干ばつ対策や医療支援にすべてを捧げた中村哲医師が亡くなられました。中村医師とは、2001年にお互い衆議院の参考人という立場で会ったことがあるという軍事アナリストの小川和久さんが、主宰するメルマガ『NEWSを疑え!』に追悼記を掲載。小川さんは、紛争地への軍隊派遣に関し、真逆の立場を取る中村さんと、二人きりで話し合ってみたかったと思いを寄せています。

追悼、中村哲さん

中村哲さんが亡くなりました。平和を愛し、医師でもあった中村さんには似つかわしくないかもしれませんが、あえて「戦死」という言葉を使いたいと思います。

「アフガニスタンで人道支援活動を続けるNGO『ペシャワール会』(福岡市)の現地代表、中村哲医師(73)が4日、東部ナンガルハル州を車で移動中に銃撃を受け、死亡した。州当局者によると、一緒にいた同会スタッフの運転手や護衛のアフガン人ら5人も銃撃を受け死亡した」(12月4日付 時事通信)

中村さんと共通の友人知己はいるのですが、私自身は1度しか会ったことがありません。衆議院の参考人質疑のときです。ニュースを聞いて、起きるべくして起きたという思いに駆り立てられ、NewsPicksに次のコメントを投稿しました。

「中村哲さんとは米国同時多発テロ直後の2001年10月13日、衆議院の『国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会』で参考人としてご一緒した。   どういう形であれ、軍事組織をアフガニスタンに出せば暴力の連鎖を生むと反対する中村さん、暴力の連鎖を断ち切るためには高速道路の中央分離帯のような考え方で一定の強制力を備えた軍事組織を投入することが必要で、それによる安全地帯を作ることが第一、その次に中村さんたちの井戸掘りがくるという私。   かみ合うはずのない2人だったが、中村さんの穏やかさには感銘を受けた。自民党議員からヤジられ、席に戻る途中で躓いて水をこぼしたのが気の毒だった。合掌」

それ以来、中村さんのことを思い出すたび、二人きりで話し合ってみたいと思い続けていたことがあります。12月5日付毎日新聞に掲載された中村さんの「語録」では、次のような言葉が目を引きましたが、中村さんを問い詰めてみたかったのです。

「憲法は我々の理想です。理想は守るものじゃない。実行すべきものです。この国は憲法を常にないがしろにしてきた。インド洋やイラクへの自衛隊派遣……。国益のためなら武力行使もやむなし、それが正常な国家だなどと政治家は言う。私はこの国に言いたい。憲法を実行せよ、と」(12月5日付 毎日新聞)

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