世良公則「燃えろ、サナエ!」で大盛り上がりの自民党大会が象徴する“愛国ごっこ”政治の末路

ky20251015
 

自民党大会でロックミュージシャンが「燃えろ、サナエ!」と熱唱し、高市首相が両手を振り上げて大はしゃぎする——。その裏で、憲法学者も「立法事実がない」と認める国旗損壊罪の新設が進み、イギリス紙には「虐待的な日米関係」と断じられています。「愛国」という物語で現実から目をそらし続ける政治の危うさとは何か。今回のメルマガ『小林よしのりライジング』では、漫画家・小林よしのりさん主宰の「ゴー宣道場」参加者としても知られる作家の泉美木蘭さんが、ネトウヨ政治の病理を容赦なく解剖しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです

現実から目をそらすネトウヨ政治と『愛国』というクスリ

4月12日(日曜)に開催された自民党大会で、ロックミュージシャンの世良公則が、ツイストのヒット曲『燃えろいい女』を熱唱したと話題になっていた。 動画を見たが、世良は、サビの部分を「燃えろ、いい女! 燃えろ、サナエ!」と言い換え、「まぶしすぎる お前との出会い」という歌詞では、高市早苗を指差すという演出を繰り出していた。 曲終盤は、会場とのコール&レスポンスで大盛り上がりとなり、世良の「燃えろ!」に続いて、自民党員たちが「サ・ナ・エーッ!」と大絶叫。舞台上の大型スクリーンには、両手を振り上げて大はしゃぎする高市の姿が映し出されていた。

こういうのを、権力におもねる人という意味で「太鼓持ち」「男芸者」と呼ぶのではないのだろうか。お座敷太鼓がドラムに、三味線がギターに変化しただけの話だ。 権威に対する違和感や抑圧への破壊衝動を爆発させるための音楽がロックンロールであったのに、ここまで権力絶賛に成り下がるなら、もはやロックは死んだと言うしかない。

さらに、スピーチで参加した日本維新の会・吉村洋文代表のYouTubeでは、高市が吉村に対して「褒めちぎるんだ。私を」「歯の浮いたようなお世辞でもいいから、私を褒めちぎって」と耳打ちする映像が公開されていた。

ゆるんだ雰囲気のなかで、高市が「私を褒めて…」という空気を自ら作りだしている、不気味な場面だ。撮影者も支持者も、せいぜい「自民党総裁と維新代表の、関西風でちょっと笑える一幕」程度にしか受け取っていないのだろう。だが、その軽さと鈍感さが日本を現実から引き離し、かなりマズい方向へ押し流しているのだからイヤになる。 しかもこの自民党大会で掲げられた「立党70年新ビジョン」という宣言書がまた、うんざりする内容だった。

「現実から目をそらします」宣言

自民党が発表した宣言には、「保守たるものとは」という感覚でこれでもかと美辞麗句が並べられている。まず2度見したのはこの部分だ。

わが党が維持してきた保守とは、一つの「態度」である。昨今、高言に急進的な変革を求めたり、異なる意見を排除したりする言説の傾向が見られるが、こうした態度をわれわれは保守とは考えない。…(中略)…断固として極左、極右の全体主義、権威主義的な国家の姿を追求する勢力とは対決しなければならない。 「立党70年 自民党の歩みと未来への使命」より

保守とは「態度」のことでもあるというのは、「ゴー宣道場」でも議論されたことがあるし、ブログでもいろんな形で書いてきた。歴史のなかで醸成された良き慣習や常識、文化を重んじつつ、現状の問題に対してどう判断をつけていくのか。その過程で思い悩んだり、学んだり、考えを改めたりもする──そうしたバランス感覚のことでもあった。 変革を求める異なる意見に対しても、時代の要請に応じて反応し、咀嚼し、必要に応じて自らをアップデートしていく。その柔軟さもまた、「態度」に含まれるはずだ。 ところが、ネトウヨ高市自民党は、日本の歴史も常識も文化もまともに知らず、自分たちにとって居心地の良い「夢の日米同盟」「〈強い日本〉という幻想」「あの懐かしき明治時代」「俺たちの愛する男尊女卑の世界」にしがみついて、それを脅かす現実や異論を「極左のデマ」「敵対勢力」と言って排除しているだけだ。 しかも、「全体主義」とも「権威主義」とも対決するどころか、自らそれを作り出し、利用している。 自民党の言う「保守の態度」とは、現実に向き合う姿勢ではない。現実から目をそらし、都合のよい物語に閉じこもるための逃避にすぎない。

先人から受け継がれてきた日本の「国柄」を体する存在が、2600年以上続く日本の皇統である。わが国の皇統は国民との信頼と敬愛によって結ばれ、国民生活の安定を願う祈りとともに連綿と続く日本の歴史そのものである。この歴史と伝統を受け継ぐことは保守思想を体する政党として、果たしていかなければならない基本的使命であり、また多くの国民の希望でもある。

「多くの国民の希望」とは、天皇陛下のお子さまである愛子さまに、次の代を継承していただきたいという自然な願いだ。 ところが、それを排除して、永田町に巣くう政治家の男尊女卑観念にしがみつき、皇位の継承を「男系血統の接続」という不敬な血の話にすりかえる。そうして皇室に対する信頼も敬愛も崩壊させてしまおうとしているのが、ネトウヨ高市自民党である。

わが党の「保守政治」とは単なる懐古主義ではない。20年に1度、式年遷宮を繰り返し、1300年以上にわたって続いてきた伊勢神宮。その理念は「常若(とこわか)」に表現され、古くから続く長い伝統を守るため、常に新しい姿に作り替えることで、みずみずしい生命力を今日まで伝えてきた。これこそが、わが党が示すべき保守政治である。

自民党のどこが「常若(とこわか)」で、どこに「みずみずしい生命力」があるというのだろう。令和の現代になっても、明治時代の男尊女卑にしがみついているのだから、懐古主義の象徴だと思うが。 「常若」とは、その時代の現実に合わせて、常に変化し、アップデートしながら、伝統を若々しく生命力あるものとして守っていくという思想だが、ネトウヨ高市自民党がやろうとしているのはその真逆だ。 「《伝統》とは、明治時代のじいさんの形状に固定することである!」 と言わんばかりの発想である。 じいさんはとっくに死んでいるのに、そのデスマスクを後生大事に磨きつづけるのが「保守」だと思っているのだろう。一滴のみずみずしさも生命力も感じない。

小林よしのりさんのメルマガ

購読はこちら

print
いま読まれてます

  • 世良公則「燃えろ、サナエ!」で大盛り上がりの自民党大会が象徴する“愛国ごっこ”政治の末路
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け