国民の誰しもが右肩上がりの未来を信じていた時代も今は昔、長引く不況から抜け出せずにいる日本。一体何がこのような事態を招いたのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では作家で米国在住の冷泉彰彦さんが、その大きな原因として1980年代に起きた「教育の荒廃」を挙げ、社会全体の変質過程を分析。さらに校内暴力や管理教育等が日本にもたらした影響を解説するとともに、現在にまで連なる我が国の停滞の本質について考察しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:80年代に日本の教育と社会は、どのように崩壊を始めたのか
今ややる気も能力も皆無。80年代に日本の教育と社会は、どのように崩壊を始めたのか
とりあえず、教育のお話から入りたいと思います。残念ながら現在はまだ日本の公教育は冬の時代であると思います。教職は長時間労働に加えて、メンタルヘルスの脅かされる不人気職種の汚名を返上できていません。その結果として教職志望者が減少し、競争率が確保できておらず、新規採用教員の育成にも困難があるわけです。その一方で、保護者の要求は高く、また時代の要請も待ったなしの中では、全ての教育現場が理想と現実、理念と実際の板挟みの中にあります。
思えば昭和の中期、1970年代の前半までは教職とは極めて尊敬される職業でした。小中の校長はそのコミュニティの名士として尊敬をされたし、個々の教員もそんな感じでした。高校教師に至っては地域の知識人という目で見られていた道県が多いと思います。保護者は新しい担任に対して「出来の悪い子供ですので容赦なく叱ってください」と言って、いきなり全幅の信頼を委ねるのが普通という時代でもありました。
歯車が狂い始めたのは1980年前後だと思います。中学校を中心に全国で校内暴力が吹き荒れ、個々の現場は対応に苦しんだのでした。その一方で管理教育への賛否両論が延々と続きました。この時期の新聞記事を縮刷版で読むと、何とも痛々しいものがあります。一部の地域では警察との連携が模索されて厳戒体制で卒業式をしたとか、校内暴力には体罰で臨むしかないなどの議論も見られたのでした。
テレビの学園ドラマでは、荒れる生徒のことを「腐ったミカン」だという表現もされていました。ちなみに、ドラマの内容は、荒んだ環境で育った子どもをも包摂して育てようという高い志から作られていたのは事実ですが、それはそれで当時としては非現実なファンタジーとして受け止められていたのでした。
私はこの80年代の校内暴力というものが、一つの転換点であったように考えています。この時期に中高生であった世代が、暴力に対抗できず簡単に警察力に頼る教師、それ以前の問題として、教師と生徒の間で信頼関係が決定的に壊れたままという体験を抱え、そのまま成長したという事実は大きいのではないかと思うからです。
やがて成長した彼らが親となる2000年代以降、保護者による、今でいうカスハラ行為が横行してゆきました。いわゆるモンペ(モンスター・ペアレント)の登場になります。彼らが暴走した背景としては、勿論、自分の子どもを無批判に擁護しようという本能的なものがあったに違いありませんが、その奥には学校という制度そのものへの根源的な不信があったとしか考えられないのです。
では、この80年代にいったい何が起きていたのでしょうか。考えてみれば、日本という国が世界最高の経済的成功に酔いしれつつ、一億総中流などという自画自賛にふけっていた時代でもあるわけです。そんな中で、どうして公教育の現場だけが不信と衝突の場となっていたのでしょうか。
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