大英帝国にも屈しない。天才学者・南方熊楠が見せた「祖国への思い」

kumagusu20161205
 

博物学者、生物学者、そして民俗学者でもある「南方熊楠(みなかた くまぐす)」をご存知でしょうか。日本やアメリカでは飽き足らず、世界一の学問を目指してロンドンに渡った熊楠は、まったく無名の東洋人からその名を世界に轟かせるまでになりますが、異国の地でも「祖国への思い」と「愛国心」は決して捨てませんでした。今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、そんな南方熊楠の半生が紹介されています。

南方熊楠、大英帝国に挑む

大英博物館の考古学・民族学部長、そして後に博物館長となる英国学士会の長老オーラストン・フランクス卿のもとに、その奇妙な日本人青年が現れたのは、1893(明治26)年9月の事だった。

靴底の厚みがレンガほどもあるくたびれた皮の長靴を履き、傍に寄ればぷーんと臭いそうな垢じみたフロックコートを着ている。大きな目は一種の異様な光を湛えている。持参したある日本人からの紹介状も、また異様なものだった。

上は天文地理から、下は飛潜動植物、蟻、蠅、せっちん虫にいたるまでの智識をふまえた奇妙な日本人、南方熊楠(みなかた・くまぐす)を紹介します。クマグスの研究のなかでも蘚苔・藻・菌・粘菌は殊にすぐれ、かつて科学雑誌「ネーチュア」に発見した新種、ピトフォア・エドゴニア・ヴォーシュリオイデス、ならびにグァレクタ・クバーナを発表したる事あり

グァレクタ・クバーナは、熊楠がキューバ島で発見した地衣類(こけ)の新種で、「白人の領土内でアジア人の手によって発見された生物学上の世界最初の発見」として、学会の話題を呼んだ。皮の長靴はキューバのジャングルを歩き回った時に、吸血虫から身を守るために求めたものだった。

馬小屋の大学者

フランクス卿はその汚いなりに顔をしかめたが、話を始めると、熊楠の異様な熱気を帯びた話しぶりに、ぐいぐい引き込まれていく思いで、時間がたつのを忘れてしまった。

君はすばらしい学者だ。また訪ねてきてくれたまえ、ミナカタ君」

熊楠は大英博物館での資料閲覧を許され、時にはフランクス卿の助手として、東洋の仏像や仏具の整理を手伝ったりした。

熊楠の生家は、和歌山でも有数の富裕な商家だったが、この頃は実家からの送金も途絶えていたので、生活は貧窮を極めた。馬小屋の二階の安下宿は、階下から立ちのぼってくる馬の小便の臭いが立ちこめ、座る場所もないほど書物と植物標本が部屋を埋めて尽くしていた。へこんだベッドに、壊れた椅子、便器の横には食器が散乱して、掃除などもう何年もされていないようだった。

食事は一日一食がやっとだったが、パンでも肉でも自分が噛み砕いて栄養をとると、残りを可愛がっていた猫にやっていた。しかし、その猫もあまりの貧乏生活に愛想をつかしたのか、家出をしてしまう。

たまに金が入ると、街角の居酒屋をはしごして、飲んだくれた。ぼろ靴にすり切れたフロックコート姿で歩くと、近所の犬が驚いて吠えかかってくるのにはさすがに閉口した。

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