【書評】なぜ焼肉「叙々苑」には芸能人の色紙が飾っていないのか?

 

高級焼肉店であり、多くの有名人が来店することでも有名な「叙々苑」ですが、その人気の秘密は美味しさだけではありませんでした。今回の無料メルマガ『ビジネス発想源』では、叙々苑代表取締役会長である新井泰道氏の著書を紹介しながら、高級感の演出やお客様への気配りといった「一流のスタイル」について考察しています。

一流スタイル

最近読んだ本の内容からの話。

貧しい少年時代を過ごした新井泰道氏は、早く家を飛び出したいと思っていたところ、昭和33(1958)年、叔母の勧めで、中学を卒業する前に上京して、新宿の焼肉店で住み込みで働くことになった。そして店を移りながら14年間の修行の後、神楽坂の焼肉店の共同経営者となり繁盛店にした。

しかし、その焼肉店は住宅街の中にあり、草履で気軽にぶらっと立ち寄るような店で、メニューも一番高いカルビで550円という安さ。どんな場所でどんな価格で売っても仕入れ値は同じなのだから、それなら一番高く売れる場所はどこだろう、と新井氏は考えて、昭和51(1976)年、六本木に焼肉店をオープンした。

六本木では新参者なので、六本木周辺のライバル店を徹底的に調査し、同業者が朝4時まで営業していればこちらは5時、女性従業員が5人ならこちらは6人、と勝てる要素を揃えていって対抗した。焼肉店にもかかわらず赤じゅうたんを敷きつめ、従業員には振る舞いや動く姿が素敵な女性を選んだ。

当時はどこの焼肉店でも、女性の服装といえば白着であり、それでは定食屋スタイルっぽくなるので、「ここは六本木、オシャレにいこう!」と、女性従業員には黒のパンタロンに紺縞シャツ、男性従業員には蝶ネクタイを身につけさせ、注文を聞く時には片膝を落とすように教育した。

六本木には外国人が多くいるが、外国人は肉を焼く音を「じゅうじゅう」ではなく「ジョージョー」と発音すると聞いて、叙勲や叙事詩など高尚な意味に用いられる叙の字を使い、店名を「叙々苑」と名付けた。遅くまで開いていて高級感ある焼肉店ということで、銀座で店を終えたホステスがどんどんやってきて、叙々苑は女性客を中心に人気店になっていった。

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