善悪の判断がつかない子供たち。結論を出さぬ「道徳」授業の弊害

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「どうして現代の子どもたちは、こうも善悪がわからないのだろう」──。こんな疑問を記しているのは、いじめ問題を取り扱うスクールソーシャルワーカーの村崎京子さん。今回の無料メルマガ『いじめから子供を守ろう!ネットワーク』では村崎さんが、「その背景には道徳の授業が深く関係している」として、実際に村崎さんが目にした授業風景を紹介しながら、今現在取られている教育方針の問題点を指摘しています。

「子どもたちに道徳を教えるということ」-モラルジレンマを超えて-

いじめ事案を扱っていると、「現代の子どもたちは、どうしてこうも善悪がわからないのだろう」、と感じることがあります。いじめの加害者と被害者の境界線がはっきりしないだけではなく、「何か考え方の訓練ができていないのではないか」とスクールソーシャルワーカーの私としても困惑することが多々あります。

この子どもたちの善悪に対する意識低下の背景には、小中学校の道徳の授業「モラルジレンマ」教育の方法に原因がありそうです。「モラルジレンマ」教育とは、二律相反する命題を示して、どのようにすべきかを考えて意見を述べあうという授業方法です。もともとは、自主的な討論の力を引き出したい、というのが出発点なのだと思われますが、「結論は出さないという姿勢には疑問を感じます。未熟な小中学生に対しては、結論を示さない以上、混乱させるしかないというのが実感です。

この件で、どう考えたら良いかは、いじめから子どもを守ろうネットワーク井澤一明代表の2015年3月のブログ「道徳教育のモラルジレンマ」に「指針」がありますので参考にしてください。

道徳教育のモラルジレンマ

今回は、実際の道徳授業を観て、何が間違っているのか解説したいと思います。ある日の授業を取り上げてみましょう。


テーマ:「ぜったい、ひ・み・つ」

夏休みを目前にした7月初め、私たちの中学校では期末テストも終了し、夏の大会をめざして活気づきはじめていた。バレー部も大会に向け、全員が一致団結して練習に励んでいた。

しかし、2年生の典子だけが元気がない。同じバレー部の吉江は心配になって話しかけた。すると典子は、「父親の仕事の都合で引っ越すことになったんだ。大会の練習に打ち込んでいる、みんなの前ではどうしても言い出せなかった」と話してくれた。

吉江にとって親友の典子が転校してしまうのは寂しいことだ。吉江は典子のために「お別れ会をしよう」と、バレー部のみんなに相談を持ちかけた。もちろん典子には内緒で。なぜって、「そりゃ、何にも知らない方が何倍もうれしいだろう」という意見が通って、「ぜったいにひみつ!」にすることにしたのだ。

引っこしは7月25日に決まっていた。前日の24日にお別れ会をすることにした。部活の顧問の先生にも頼んだ。

練習の合間や帰り道に、お別れ会の出し物のことや役割なんかを相談しながら帰る日が続いた。しかし、典子をその話の仲間に入れるわけにはいかない。帰り道も、今までは一緒だったけど…。

お別れ会も近い、終業式の前日の19日典子は学校を休んだ。欠席の連絡もない。心配になった吉江はバレー部のみんなと一緒に、部活の帰り道に、典子の家に寄ってみた。典子は叫んだ。「どうして仲間はずれにするの。今まではあんなに仲良くしていたのに。だから、もう学校にも部活にも行かない。どうしてなの」困った。みんなの目は、「ぜったい、ひ・み・つ!と言わんばかりだ

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